夏が来るたびに、私は毛と戦っている。
正確に言えば、毛を気にする自分の気持ちと戦っている。
長袖の季節には気にしなくていいことを気にするようになった時、「始まった」と思うのが初夏の恒例行事である。
中学生の頃から身体の毛を剃っていた。
理由なんてない。当時自分を取り囲んでいた漫画、雑誌、テレビに出てくる女性たちは、みんな毛がなかったし、周りの友達も毛がない子が多かった。だから、剃る以外の選択肢はないもんだと思ってきた。
◎ ◎
私がはたと剃る手を止めたのは、大学でフェミニズムの授業を受けた時だった。
韓国で始まった脱コルセット運動(社会的に求められる女らしさからの解放運動)のこと、剃る剃らないの自由を掲げる広告が増え始めたこと、学んでいくうちに、なぜ自分は身体の毛を剃り続けていたのか?について、考えさせられたのである。
そして私は、自ら本当に剃りたいと思っていたわけではなく、社会に剃らされていたことに気づいた。
そう気づいた以上は、剃ることをやめて自分の毛も愛したい。
フェミニズムは実践してなんぼ。いざ、人生で初めて毛を剃らないまま家の外へ出てみようとした。
玄関から出た瞬間、なんとも言い難い恐怖に似た感情がわきあがってきた。
「私の毛は異様な存在だろうか、人はこの毛に目を留めてしまうだろうか……」
夏の短い洋服で隠されない体毛たちのことが、急に気になってしょうがない。
結局私は、家へ戻ってお風呂場へ行く。すねも脇も腕も剃った。電車を1本遅らせた。
あぁこれでつり革につかまっても、Tシャツから脇毛が見えてるかも……って気にしなくていい。
したいことをしているわけではないのに、なんだか心は平穏を取り戻してしまう。
でも、脇毛が見えて何がわるいんだって葛藤する。
20数年間かけて内面化したことは、そう簡単に払拭できるものではなかった。
たかが毛を剃らないという選択をするために、とてつもないエネルギーが必要なことに気づいた。
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こうして自分の毛を気にする気持ちと戦い始めたのは、2018年の夏だったと思う。
剃りたくないのに、剃られていない毛を受け入れられずに剃ってしまう。
こんなことを続けていると、さすがにしんどくなった。
そんなある日、大学の尊敬している女性の先生の腕に毛が生えてることに気づいた。
「あ!!!いいじゃん!!!!!」
なんだかこんな日を待っていた気がした。
次の日から私は腕の毛を剃るのをやめた。
剃るのをやめた直後は、毛がちくちくなのがやや恥ずかしいものの、腕の毛がある状態で何度も外へ出た。最初は少し気になっていたけど「毛はみんな生えてるんだ!剃りたくないなら剃らない権利があるのだ!」と言い聞かせ続けた。
姉に「腕にもふもふちゃんがいるね〜」と言われたこともあった。
私は「かわいいでしょう」と言えるようになっていた。
戦い始めて2年目の、2020年頃。
ついに私は腕の毛を恥ずかしいと思わずにいられるようになったのだ。今は、自分の腕が愛おしいと思えている。
2020年以降も夏が来るたびに戦い続けている。
脇とスネに関しては、未だに脱コルセットならずだからだ。
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5回目の戦いを迎えようとしてる2023年の夏。
私はどうやって戦おうか。
宣戦布告をするかのように、私は数日前に夢を見た。
自分が敬愛している男性に会いに行く日の朝、スネを剃って出かけるかどうか、眉間にしわを寄せてひどく考え込む夢を。剃るなんて自分らしくない……でも剃らなかったらいろいろ気になってしょうがない……。
夢から覚めて呆然とする。
剃る剃らないのはざまに、異性の視線が絡んでいたことに気づかされて大ショックを受ける。
なんて根深い、体毛剃りの規範だろうか。
「ああ、今年も夏が来る。私はまた戦い始めるんだ」