一生に一度の成人式。
きっと、多くの人々にとってその日は家族や自分を支えてくれた人達に感謝をする節目の日であり、何年経っても大切な思い出として蘇るのだろう。
私もそんな素敵な思い出として温かい気持ちで思い返したかった。だけど私がその思い出を思い返す時、真っ先に出てくるのはごつごつと硬くて、とても冷たいコンクリートだ。

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もともと、私の母と父の母は仲が良くなかったみたいだ。
私の両親は喧嘩が多かった方かなと思う。その喧嘩の発端はお互いの家族や嫁姑問題が大半だった。両親とも自分の親を大切に思っているからこそ、お互いの家族からの言動に傷ついたり、それをきっかけにお互いを罵り合ったりしているのが当たり前の日常としてそこにはあった。

父方・母方の祖父母はどちらも近くに住んでいたから余計に喧嘩も多くなってしまったのかもしれない。正月やお盆の時期はお互いの家族を優先しようとする両親に振り回され、子供である私たちは双方の祖父母宅を一日にはしごし、そこで祖父母たちが嬉しそうに出してくれた、たくさんの食事を「残したらじいちゃんとばあちゃんが悲しむから」と必死に掻き込んで、無理やり笑ってご飯をたくさん食べる元気な孫を頑張って演じた。
だって、私にとっては父方・母方関係なくどちらのじいちゃんとばあちゃんも大好きだったから。そして、お父さんとお母さんのことも大好きだったから。

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そんな家庭で育った私は、20歳になった。
振袖は家計が厳しいと両親から言われていた中で、一番安い種類の振袖だけど自分で選んだ色も柄もとても気に入ったものを当日は着られることになっていた。成人式当日は、成人式の実行委員を務めていたので日中は式典、夜は地元の同窓会という多忙なスケジュールだったけれど、双方の祖父母と働いていたバイト先に晴れ姿を見せに行く約束をしていた。

わくわくしながら迎えた成人式当日。
早朝からヘアセットと着付を美容室でしてもらい、両親や妹がたくさん写真を撮ってくれた。
「お姉ちゃん、かわいい」と言ってくれた妹や、私の晴れ姿を嬉しそうに喜んでくれた両親の姿を見れて、今日嬉しかったことはきっと一生の思い出に残るんだろうな、とその時ぼんやり感じた。
母が式典会場まで送迎してくれ、式典も実行委員として最後まで無事に運営を行うことができたし、地元や高校の友人たちと久々に再会して談笑したり、写真を撮ったりすることもできた。

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バイト先に晴れ姿を見せに行くと、店長や一緒に働く先輩たち、いつも仲良くしていた近隣店舗の従業員の方達も一緒に写真を撮ったり、わざわざ見に足を運んでくれたりして喜んでくれた。少し恥ずかしかったけど行ってよかったなと思った。
この後の予定は父方の祖母宅に行き、最後に母方の祖父母宅に行って、夜からの同窓会も運営メンバーだったため、その同窓会に向かうためレンタルしていた振り袖を返却する計画だった。

母が車で送迎してくれ、父方の祖母宅に到着した。
「ばあちゃーん」と呼んでも返事もないし、祖母の車もない。どこにいるのか場所を聞くため携帯に連絡をしても電話にも出ない。祖母には何が何でも絶対に見せたい。
しばらくここで待っていようと母に言ったが、母は「仕方ないから、また同窓会の前に来よう」と言って母方の祖父母宅へ車を走らせた。

母方の祖父母へ晴れ姿を見せに行くと、2人とも「本当に、大きくなったねえ」と、目を潤ませながら喜んでくれた。
私が身に着けている振袖は母方の祖父母がお金を出してくれたから着ることができていたし、これまでもたくさん可愛がってもらったし助けてもらった。「じいちゃん、ばあちゃん、本当にいつもありがとう」と、なかなか伝えられなかった気持ちを伝えることもできた。
とても記憶に残る、幸せな節目の日になった、と思っていた。

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あとは、父方の祖母宅に行くだけ。
だけど、やっぱり連絡がつかない。そして返却時間と同窓会の時間がどんどん迫り私は焦るが、母はどこか他人事のようだった。
返却時間と同窓会の開始時間になってしまい結局、祖母に直接晴れ姿を見せることはできなかった。

翌日。祖母から父宛に着信があった。
父から私が振袖姿を見せに来なかったことを祖母がとても怒っていること、謝りに来なさいと言っていることを伝えられた。私は見せに行こうとしたし、それを父も知っているはずだった。それを伝えると、父は「俺は知らない、謝りに行きなさい」と言った。

歩いて数分の距離にある祖母宅に謝罪に行くとすぐに土下座を要求された。
興奮して怒り狂っている祖母に落ち着いてほしくて、人生で初めて祖母宅前の道路に土下座をした。1月のコンクリートは自分が思っているよりもずっと冷たくて硬くて、ついた手がひりひりした。

怒りが落ち着いた祖母に、直接見せられなかったから写真を渡すことになった。その写真は笑っているものを「これにする」と私が言ったけど、それを母は聞き入れてくれず、結局真顔で撮った写真になった。

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あれから10年が経った。
母はどうしても父の母に直接私の晴れ姿を見せたくなかった、普段虐げられてきた復讐の気持ちがあったことを最近知り、とても悲しい気持ちになった。
冷静になった今なら思う。成人式は前々から伝えていたのに、「ばあちゃんと写真撮りたいから」と言っていたのにどうして祖母は、父は、母は、都合よく私のせいにしたのだろう。

ばあちゃん、お父さん、お母さん、私を理由に都合よく使って自分の気持ちは収まりましたか?
私は今でも、あの冷たくて硬いコンクリートの感触が忘れられない。きっと、子供だった私が知らなかった祖母や両親の気持ちや正義がそこにはあったのかもしれない。だけど、その気持ちを果たすために子供の大切な節目を悪用するのは間違っていると思う。

こんな苦しい思い出が今でも私を蝕むから、私は思うのだ。
もしも私に子供が生まれたら、絶対にこんな苦しい思いはさせない。
大好きな人もその人の家族も、大切にして私は幸せに暮らしていきたい。
いつかの明るい未来に思いを馳せて、この苦しみを少しでも昇華できるよう、今は冷静にその苦しみと向き合っていこうと思う。