もうすぐ夏が来る。湿度と温度が日に日に上昇し、身に付ける洋服も段々と夏服に切り替わってきた最近。涼やかで軽くて、明るい色のデザイン。それらを着るだけで、なんとなく胸躍るのは毎年の楽しみだ。
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この頃、街中でY2Kファッションと呼ばれる2000年頃のリバイバルファッションに身を包んだ女の子たちを見かける。ローライズパンツに丈短めのトップス。厚底やミニスカート……。少しキッチュな雰囲気と、ヘルシーな肌見せ。夏が近づくにつれ、その身軽な装いに目を奪われる。
「スタイルがいい若い子じゃないと着れないよなあ」
20代後半の私は、そう一人ぼやく。夏服はボディラインが目立つものが多いため、特にそういうことを気にしてしまう。
いつからだろう。私のクローゼットにはVネックのトップス、マーメイドスカートといった決まった形の洋服が格段に増えた。これは、巷で流行りの骨格診断に影響されたものだ。数年前に読んだ雑誌で提示されていたそれは、失敗なく洋服を買うことができる指標になりとても頼りになった。私はいわゆる、骨格ストレートというタイプでちょっと着る服を間違えると上半身のボリュームが倍増され物凄く太って見えてしまう。
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だから少しでも痩せて見える服を、骨格診断の指南通り選ぶようになっていた。そのことを意識すると、自分と似たような恰好をしている女の子を街でたくさん見かけることに気が付いた。骨格診断においては3種類ほど骨格のタイプがあり、それぞれに似合う鉄板コーディネートがあるらしい。
それに加えて、パーソナルカラーという考え方も当たり前のように話されるようになった。特段色彩について学んだことのない私であるが、
「この色かわいいけど、ブルべの私には似合わないな」
そう自然に考えるようになったのだから、ネットや雑誌はたくさんの知識を私に携えてくれたのだと感じる。だから、私のコスメケースのなかにはブルべの自分に似合うような色のリップやチークしか入っていない。コーラルピンクとかオレンジといったカラーは肌なじみが悪いと学び、一切買わなくなった。
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だが、ちょっと待てよ。
私はどうしてこんなに、体形や肌の色に合わせて提示される「似合うもの」に縛られているんだろう?
「柔らかい素材は似合わないから、これは着れない」
「中途半端な丈は太って見えるから、絶対ロング丈じゃないと」
自分に似合うものを身に付けたい一心で参考にしていたそれは、いつのまにか「似合わない」ものを絶対に着れない、ある種の呪いとなって私に積み重なっていた。
世の中から提示される「似合うもの」に縛られている自分。いや、勝手に自ら縛られたのだ。自分に似合う服を身に付けると、スタイルがよく見えるし他人からの印象もいい。けど、おしゃれやメイクには自分をよく見せるという目的以外に、自分が楽しむという目的もあるはずだ。後者の割合が著しく少ないのは、なんだか寂しい。おしゃれもメイクも好きなのに、自分が身に付けるものを狭めてしまうのはどうなんだろう。
四半世紀以上、曲がりなりともこの身体と一生懸命に生きてきたわけで。だったらもういい加減、好きなものを着させてほしい。自分の身体に、着るものに、勝手に呪いをかけていたのは誰だ?ほかでもない自分だろう。だったらまた勝手に好きな服を、好きな色でメイクを、楽しめばいいではないか。
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きっと、いきなり明日からへそ出しの服は着れない。けど、パーソナルカラーも骨格診断も無視してたまには自分が好きだというだけの服を着るのだ。そう思うと、いつも眺めていたお気に入りの服屋でも数倍選択肢が広がったような感覚になるから不思議だ。前から素敵な服はたくさん並んでいたのに、選択肢を狭めていたのは自分だった。
この夏は、本当のお気に入りの服を着て暑い街に繰り出すのだ。私はそう決め、意気揚々とショッピングに滑り出していくのだった。