私の癖で誰にも言えないことというと、わりとどんな時でも空想をしてしまうということだ。
空想している人ってどのくらいいるんだろうか。電車に乗ってる綺麗なお姉さんも、疲れてるサラリーマンも頭の中では何かしらの空想を頭の中でむくむくと育てているんじゃないかと私は思う。そうであってほしいなと期待する。
◎ ◎
空想にまつわるエピソードは小さい頃からたくさんある。今でも覚えている、「私、空想好きだなぁ」というエピソードは小学生の時の話だ。
小学生の頃、テストがやたら簡単だった。
簡単なのに一時間使うから時間が余ってしょうがない。
余った時間は絵を描いたり寝たりする友達がいたけど、真面目という名のビビりだった私はそれができなくてただ終わった答案と睨めっこするばかり。
流石に飽きた私はある日ついに作戦を立てた。
それが「テストが終わったら空想して過ごそう」ということである。
思い返せば終わった答案と睨めっこしながらも、気づけばふわふわと膨らんでいろんなことを次から次へと考えていた。たいてい良いところでチャイムが鳴り「あぁ、もう少し考えいたかった」なんて思っていたのだ。
だからその日は満を持してお題を考えた。お題は「もしも我が家で犬を二匹飼うことになったら」というものだった。賃貸のため犬を飼ってはいけなかった私はその設定を考えることにすらワクワクした。「妹と2人でお世話するから私はダックスフンド担当になろうかな」「名前は何が良いかな。やっぱりココアとかスイーツ系かな」とか。設定を考える時点ですでに空想が膨らみすぎだ。
結局そのテストは空想に意識を持っていかれすぎて集中できず、結果そんなに早く終わらなかった。本末転倒だ。ここで私は空想は偶然に突発的に発生させることが一番実りがあることを悟った。
◎ ◎
ここで私は、空想によく似た妄想という言葉を思い出した。空想と妄想はどう違うのだろう。
調べてみると、空想は現実には無いことを考えること、妄想は現実には無いことを考えて、それが現実にあると思い込むことらしい。
やっぱり私がしてるのは空想だ。ちゃんと現実とは切り離している。
そして私は冒頭で言ったとおり、今も空想をよくする。
最近の空想で言うと、
お風呂の中でまだ読んだことのない本について感想を言うんだったらきっとこんな感じで説明するだろうなというのを延々とぶつぶつ話していた。
それでお風呂から上がって冷静になって、「いやまだこれ読んでないじゃんそういえば」となった。普通に自分がすこし怖くなった。
もはやこれは現実との区別が曖昧になってきていて妄想の域に達しているかもしれない。
◎ ◎
この空想、実は私に良いことをもたらしてくれたりする。
なんとなく空想していたことが現実に起こることが今まで何度かあるのだ。
仕事について、私はこうなりたい、このポジションにつきたいと考えていたことがその通りになったり、
あの気になる子とデート行きたいな、行くとしたらどんなところが良いかなと考えていたデートプランがそのまま現実になったり。
具体的に想像することが、空想ではなく現実になったりする。
なにか漠然とした目標に向かってどうしたら自分ができるのかを想像することで行動に起こしやすいのかもしれない。イメージトレーニングみたいな感じ。そう考えると私のこの空想癖は案外人生において良い影響を与えてくれている。
また例えそれが現実に起こらずとも、空想していると単純に楽しい。
ただ家でぼーっとしているだけの時間だとしても、普通に家事をしてる時間だとしても、頭の中は楽しい出来事で盛りだくさんにできたりもするのだ。
◎ ◎
断っておくが、空想中外から見た私は至って普通だ。
すました顔をしている。その顔で頭の上には色々世界を広げている。
そこで冒頭で書いた私の期待に戻る。
電車の中のお姉さんやサラリーマンの頭の上にもたくさんの世界が広がっているというやつ。
おんなじことをしているようで全く違う世界を頭の中は生きているとしたら、
それはとても楽しいことだなぁと私は思う。
これすら空想ですねというツッコミが聞こえてきそうだけど、私はやはりみんなが空想してたら良いなと期待する。