302と545。
この数字を見てピンとくる方はいるだろうか。
先日ネットで偶然見かけたこの数字に愕然としたのは記憶に新しい。
令和3年分民間給与実態統計調査における2021年男女別給与所得の結果だ。
どちらがどちらかは言うまでもない。
社会的にも世間の感覚的にも今や共働きが当たり前で、少しずつではあるが男女の社会的地位に相違が少なくなったとはいえ、実際はこうなのだと痛感した。
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「旦那の収入もあるから一人暮らしの頃よりも多少は余裕を持った生活ができる。もちろん好きの気持ちはあるけれど、それだけで生活できるわけではない」
その言葉に何度苦笑いを浮かべたかわからない。
大手結婚総合企業の謳う
「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、 私はあなたと結婚したいのです」
この文言はこういう言葉を聞くための言葉だったのだろうかと悲しくなる。
社会人四年目、私の年収はおそらく最初の数字とほぼ変わらないくらいだろう。
特段物欲が強くもなければ浪費癖もなく、ただ生きるという意味では十分に事足りる給料だからだろうか、彼女達の発する言葉がどうしてもうまく飲み込めない。
齢27にして、いまだに思考回路は学生時代のままだと揶揄されるだろうか。
それでも私は、好きな人と人生が尽きるまで幸せに過ごすためのものだと信じている。
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とはいえ、ついこの前までは彼女達と同じ感覚を持っていたことは否めない。
特にお金に困っていたわけでもないのに、私は社会という大海原の中で彼女達の思考に飲み込まれていた。
いろんなマッチングアプリや友人の紹介で出会う男性達。
彼らのことを無意識のうちにステータスで見ていたことも、純粋に好きだという気持ちが持てなくなってしまったこともあった。
本当はそんな気持ちで人と出会いたくないのに。
相反する気持ちは鬱陶しく、私を恋愛から遠ざけていた。
ただ、いつだってイベントというものは突然で、この春、私は本当に、数年ぶりに純粋に異性に恋に落ちたのだ。
久しぶりに学生時代に味わっていた圧倒的で爆発的な好きという感情が身体中を駆け巡り、寝ても覚めてもその人のことばかり。
脳内メーカーをすれば、きっとその人一色だろう、というほどだ。
彼のステータスなど全く気にならず、ただ人として彼のことが好きになった。
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今現在、その人と特別な関係にあるわけでも何でもない。
しかし、その人かどうかはさておき、私はこのどうしようもなく、自身のIQが溶けて落ちてしまうような恋愛が結婚における幸せなのだろうと改めて感じさせられた。
年々様々なものが衰え出費が増えていく中で、まともな貯金もできず、一人で生涯を過ごすにはあまりにも心許ない、女性に冷たい社会において、結婚は保険のようなものだと割り切った結婚を否定することはしない。
人の幸せの基準は様々だと思う。
お金があり贅沢な暮らしができることを幸せの基準においてもいい。
愛なんていつかは無くなって消えてしまう脆いものだと鼻で笑う人もいるだろう。
けれど私はいくらお金があろうが、贅沢な暮らしができようがそれに勝る愛があれば何でもいいのかもしれないと、少しだけ楽観的だ。
それだけ、私はあの謳い文句のような結婚がしたいのだ。
ありがたいことに、私自身がお金に困っていないというのもあるだろうが、だからこそステータスなど関係なく、人として本当に愛している人と結婚したい。
それが私の考える結婚に対する幸せだ。