「その手どうしたの?」

色んな人に言われてきた。
驚く人、心配する人、汚いものを見た目をする人。反応は様々だけど、そのたびに私は情けないような、悲しいような、諦めのような、なんとも言えないが、とにかく手を隠したい気持ちにかられた。

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私の手は特に指先が赤くて、ところどころ血が固まった跡があって、見るからに痛々しい。自分で自分の皮膚を剥いてしまうせいだ。ネットではストレス性の自傷行為の一つだとあるが、別にこれといってストレスの原因は思い当たらない。何か特定の環境でむしってしまうことがあればそれが原因という説もあったけれど、特にそういう規則性は見られない。なにか潜在的なストレスがあるのか、ただの癖なのかよくわからない。原因不明ってやつだ。

私だって、綺麗な手でありたいと思う。剥きたくて剥いているわけでもない。
料理をする時、レモンを絞ったり、手で調味料を揉み込んだりする度に液が傷口に染みる。
ピアノを弾く時、速く強く鍵盤を叩くと、時々真っ白な鍵盤に赤茶色の汚れがついてしまうことがある。
茶道でお点前をする時、たおやかで丸いお点前にこの痛々しさが水を差す。

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病院に行けば何かの、それこそストレス性の自傷行為などのきちんとした名前をくれるのかもしれない。病気のせいだ、あなたのせいじゃないと言ってもらえるのは救いになるような気がする。それでも病院に行けないのは、可哀想な弱者の烙印を押されてしまうような気がするからだ。ストレスのせいで無意識に自分を傷つけてしまう可哀想な人。守らなければならない腫れ物。それは厚意からくるものなのかもしれないが、私にとっては優しさでもなんでもない。大抵の場合、優しさには救われないものだ。私が受け取りたいと思わない限りは。

私はただの癖だと思っていたい。自分に原因がちゃんとあるもの。やめる手立てが、道が、希望がきちんとあるもの。でも周りはきっとそうは言ってくれないから。

だから病院にはもちろんいけないし、友達など他の人に打ち明けるなんて以ての外だ。もし聞かれたら、学校の友達になら茶道してる時に釜で火傷したという。茶道の人になら実験でという。他にも料理をしている時に、元々肌が弱くてなど。私の傷を正当化するための嘘がどんどんバリエーション豊かになっていく。それだけ私の手の醜さを気にする人がいて、それだけ私がこの癖から抜け出せないということ。

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いつか、傷一つない、白く柔らかな手で優雅にお点前をしたい、塩が染みるのを気にせずに料理をしたい、軽やかにピアノを弾きたい、大切な人の手を取りたい。

私の好きなことは全て手を使うことばかりだから。きっとそれができたら私見る景色は何倍にも鮮やかになるだろう。
そう思うのに、いつまでたっても解決策の見つからない暗闇で、私は今日も昨日と同じように罪悪感にかられている。