シークレットモードで履歴が分からないように予約し、当日は友達と遊ぶと親に嘘をつき、電車に揺られ都会へと繰り出した。
「今焦ってしなくても大丈夫。もし本当にしたかったらまたおいで」
お金も持たない高校生に、丁寧なカウンセリングをしてくれた先生。
クリニックを出た瞬間、背中にびっしりと汗をかいていたことに気づいた。
安堵と物足りなさを背中に抱えたまま、私はクリニックに足を運ぶことは2度となかった。
私は昔、一度だけ美容整形外科に来院したことがある。

◎          ◎

自分の体に強烈なコンプレックスを抱くようになったのは中学生の頃。
それまではそれなりにスタイルも良く、唯一の困りごとは身長が高いがゆえに丈が足りないことくらいで、特段服を選ぶということに不自由はなかった。
しかし中学入学後、本格的にバレーに打ち込むようになってから、私の太腿はみるみる太くなり、これまで履いていた服が入らなくなった。
部活をしていた頃はそれでよかった。
そんな太腿が勲章でもあったのだ。
しかし選手生命は短く、怪我によりバレーを離脱。
これまでの人生だったものを失ったにもかかわらず、太い太腿だけは残った。
そして、普通に生活する上では何の役にも立たない太腿の筋肉はみるみる落ち、ついにはただの脂肪の塊になってしまった。
あの頃は勲章だった太腿は、醜い体の一部に成り下がった。
私は自分の太腿が大嫌いだった。
痩せようと親に頼み込んで食事制限を実施してみたり、運動をしてみたがそう簡単に脂肪は落ちなかった。
次第に努力ではなく、強制的に脂肪を落とす術を検索するようになった。
「これを飲むだけで劇的に落ちる!」
「あの芸能人もやってる!これが無いと手放せない!」
いかにもきな臭い謳い文句。
通常の思考回路であれば引っかかるはずもないそんな宣伝にすら心を奪われる始末。
今ではどうやって購入していたかも覚えてはいないが、親に内緒で、効きもしないサプリを購入し飲んだこともあった。
そうしてるうちに、確実に効き目のある整形へと興味が移っていった。

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来院した時の整形に関する覚悟は半分くらいだったと後々冷静になって思う。
いざ、施術となると逃げ出していた未来が容易に想像できるのだ。
それでも、女としての価値を追い求める熱量は本物だったのだと認めざるを得ない。
あの頃は本当に整形しかないのだと、半分は本気で信じていたのだ。
大学生、社会人と過程を得る中で、生活の自由度が格段に増えてからは、人生をコントロールすることで自身の求める美を追い求めることが容易になったと感じる。
それと同時に整形したいという欲は、自然となくなっていった。
整形でなくても、自分のなりたい自分は手に入るのだと悟ったのだ。

美容整形への希望や願いというのは人それぞれで、今よりももっと美しく、と望む声もあれば。
劣っているところを人並みにしたい、と望む声もあり、本当に様々だ。
「変わりたい」
ただ、その想いだけは、性別も人種も関係なく同じなのだと痛感させられる。
親からもらった体がとか、整形に手を伸ばさなければなかったのかとか、一昔前より整形に対する偏見や差別的目線は穏やかになったものの完全になくなったわけではなく、面と向かって人に言葉の針を投げる人も見かける。
しかし人の生き方が千差万別なように、整形に関する考え方も人それぞれなのだ。
自分は整形ではない何かで、変わりたいという気持ちに折り合いをつけることができたが、整形をしたい、整形をしたという人にはそれなりの覚悟があるはずなのだ。
「あ、二重にしたの?いいじゃん!」
「ちょっと二重幅大きすぎた気がするから、また今度調整するんだ」
「そっか!次会った時また見せてよ!」
待ち合わせをしていた友人と服を褒め合うような感覚で整形の話もしたい。
整形を肯定するということは、その人の生き方を肯定することと同じだから。