主観的幸福度調査で、どの職業よりも専業主婦の幸福度が高くでる傾向にあることはよく知られている。
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単純な解釈ほど危険なことはないと理解しつつ、私は「主観的」というところにヒントがあると感じている。つまり、「私は幸せだ」とその人が思えるかどうかにこの結果は依拠する。経済的豊かさや環境、人間関係などの指標は自由に自分の中で意味合いを変えることができるというわけだ。
「あなたはどのくらい幸せですか」という質問に、他の誰でもない「あなた」の差し加減で答えることができる。
ちなみに、性別問わず独身者の主観的幸福度は、配偶者ありと比べると低い結果も出ているとのこと…。
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10年ほど前に、フェイスブックの最高執行責任者を務めるシェリル・サンドバーグ氏の本がベストセラーになったことを覚えている。
大学生だった私は、彼女の考えに感化されて、「私もこんなバリバリ働きながら育児と仕事を両立して、上を目指す女性になる!」と意気込んだ。
そしていざ社会に出て全速力で走った。職場に12時間以上居座り、土日出勤もこなした。
昇進をちらつかされて、その席に座ってやろうと真っ直ぐ仕事に向き合ってきた、つもりだった。
様相が変わったのは20代後半に足を踏み入れた時だった。
それは26歳の冬、22時過ぎ。いつものように終電を気にしつつ、内心焦りながら取引先への提出書類を作成していた時、ふと笑い声が違う部署のデスクより聞こえてきた。
男性社員たちがお菓子を食べながら、「今日はもう帰るの諦めてます(笑)」と発言内容とは裏腹の明るい声でお喋りをしている。
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そこで異変に気がついた。
今このオフィスには、私以外の女性社員がいないことに。
この男女比率の不均等さと、私と彼らのデスクへ向かう気持ちの違いはなんだろう。
私は、未婚で子どももいない。家事も自分の裁量でできる環境にいる。
それはあの笑っている他部署の男性社員たちも一緒だ。いや、一人は既婚者で子どももいたはず。
疑問に思いつつも、どうしても深夜を回っても職場にいるなんて想像もしたくなかった。
それから3年後、私は働くことに休止符を打ち、大学院で社会学を学ぶことにした。
そこで、あの奇妙な現象のことを「男並みに働くこと」と表現している本をいくつも目にした。
女性が社会で、私が大学生の頃に意気込んだように働くことは、男性を主要モデルに構造された社会に身を置くということなのだ。
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Don’t leave before you leave - 去る前に去るな。
これはあのサンドバーグ氏の本の中の言葉だ。最近になって読み返して1番私の中で引っかかった言葉。そして、大学生の私に夢を持たせた言葉。
男性の振りをしないといけない。それが結婚して、子どもを産んでも。マミートラックになんて乗らないように、苗字が変わっても子どもが泣いていても深夜残業をこなさなきゃ。
これが主観的幸福度に結びつきづらいことに疑問はない。
日本や韓国の女性のM字型就労は中学生でも知っている。
日本は台形にゆーーーーーーーーーっくり近づきずつはあるが、韓国はより難しい。
韓国の家族研究をしている先生曰く、韓国では高学歴な女性ほど家庭に入る傾向が強いらしい。
そして子どもの家庭教育を管理することが、彼女たちの新しい「仕事」になるとのこと。
確かに、日本でも専業主婦の一日やらなければならないことは、決して12時間では終わらないし、深夜残業ばかりだ。
そして子どもの有無は、幸福度の上昇には影響を与えると言われているが、不幸度には大きな影響を与えないとも言われている。また、6歳以上の子どもがいる場合は幸福を下げる可能性すら示唆されているデータもあるとのことだ。
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私は今年で30歳になる。
恐らく結婚はせず、子どもを産むにしても選択的シングルマザーとして生きていこうと思っている。
それは男性に模られた社会への挑戦などと大それたことではない。
ただただ、恋愛と結婚、子どもを持つことと結婚にイコール関係を見出したくないから。
今でも自分の決めた職場を結婚や出産という変数によって左右されたくないと本気で思っている。
それでもその場所を去らなければならないその時は、結婚や出産のためではなく、自分の幸せのためだと思いたい。
サンドバーグ氏の格言を少し変えさせていただきたい。
Leave happiness before you leave - 去る前に幸せを残せ。
こっちの方が今の私の胸には響く。
専業主婦の幸福度の高さが、幸福を作り上げたゆえだとするのなら、そんな微笑ましい結果はないのかもしれない。