社会人としての仮面を簡単に壊したあなたと、明日は上手く話したい

「ああ〜」
玄関を開けると同時にこぼれ落ちる大きな溜息。
明日は必ずやろうと意気込んで、首を垂れたまま何度扉を開けたかわからない。
意識すればするほど出来なくなるこの癖。
きっと多くの女性が陥ったことがあるのではないだろうか。
とても厄介で、あらぬ誤解を与えかねない「好き避け」という癖。
私が男性と喋ることが得意ではなくなったのはおそらく中学の頃からで、友達だったものから男女という関係を意識し始めたことによるものだった。
話している姿を周りがからかいこれまで何も意識せず話していた異性の友人が突然そっけなくなった。
こちらが意識せずとも、あちらが意識すれば関係は変わる。
いつの間にか男性と話すことを意識的に避け始めていたように思う。
だからと言って不自由があったわけではなく、私は同性の友人と話すことで自分の世界を十分に保つことができていた。
そんな私にも時折好きな人はいた。
人間の中でもものすごく単純にできている私は、男性と話さなくなったことですっかり消え失せた男性耐性が仇となり、少しでも優しくされるところっと恋に落ちていた。
だからと言って特に進展したいわけではなく、ただ遠巻きから見つめていただけ。
そもそも友人として話すことすら厳しいのに、恋人になりたいなど夢のまた夢だった。
そんな心地のいい空間も学生時代まで。
性別関係なく強制的に接しなければならない社会という環境は、男性との向き合い方を忘れた私には息の詰まる以外の何者でもなかった。
話す人全員と恋に落ちるわけにもいかない。
そこで持ち前の人懐っこさ、社会人睡蓮としての仮面を被ることで
異性との距離感をうまく掴むことができるようになった。
一枚壁を隔てることで程よい距離感を保つことが可能だったのだ。
そんな女優、睡蓮のステージ幕を強制的に降ろす出会いがあったのが今年の4月。
「うわ、かっこいい」
一目惚れだった、それも後ろ姿での一目惚れ。
すらっとした立ち姿は、173cmの私が見上げるほどの大きさ。
振り返った彼は少しだけ細めの目をくしゃっと潰して笑顔を向ける。
正面からの姿は後ろ姿よりももっとタイプで、私は一瞬にして虜になってしまった。
他部署から異動してきた彼に女優としての仮面など一瞬にして割れてしまい、
なす術もないままころっと恋に落ちていた。
しかし、男性と壁を隔てて関わることにすっかり慣れきっていた私は、
いきなり押し寄せる大波の恋心に戸惑いどうしようもなく逃げてしまった。
そう、好き避けをしてしまうようになったのだ。
「こんにちは!お疲れ様です!」
すれ違いざまにその一言を発するだけで全身から汗が吹き出す。
それ以上の言葉を発してしまえば男性耐性のない素の私が出てきそうで
会話を続けることができない。
「こうした方が上手くいきそうですね〜」
「おお〜、さすがだね」
「そんなこと言っても何も出ませんよ〜」
そんな軽口を彼とも叩きたいのに、彼とだけそれが上手くできないもどかしさ。
社会人として最低限挨拶はすれど、明らかに周りより話に行く回数が少ない。
人というのは案外他人のことなど見ていないもので、気づかれてはいないだろう。
当の彼すらも私を意識していなければそのことに気づいてもいないだろう。
しかし、その差を感じる私としては、どうしても彼に冷たくしている気がしてならない。
「本当はあなたと1番話したいんです」
「嫌いじゃない、むしろその逆、好きだから話せないんです」
そうポロッとこぼれたらどれほどラクか。
職場の人間関係を円滑に遂行する上で決して発せられない言葉を喉の手前で飲み込み
今日も私は首を垂れたまま玄関の扉を開ける。
「あの、質問したいことがあるんですけど、いいですか?」
少しでもあなたの瞳に私を映したいから、少しずつこの癖を克服しよう。
「あの時好きだったから冷たくしちゃったの」
そう笑える日々が遥か遠くの未来にでも来ることを願って深くベッドに沈み込む。
明日はあなたと話せるといいな。
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