「クラスで一番まつ毛短いよね」
高校生のとき、男子生徒もいる前で女の子の同級生に言われたことがある。
その子はまつ毛が確かに長くて、パッチリ二重で可愛らしい子だった。
何をしても器用で、才色兼備で男女共に人気の子だった。

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その時は、場の雰囲気もあって「そうなんだよね」としか言えなかった。
帰ってワンワン泣いた。
きっとその子にとっては悪気のないたった一言だと思うが、見た目を気にする当時女子高校生の時の私からしたら爆弾発言だったのだ。
あんまりにも私が泣いていたので心配した母に、このことを話したら「ごめんね、お母さんの遺伝だね」と。

冗談混じりに励ましてくれているけれど大好きな母を悲しませてしまった。
ごめんね、お母さん。

いっぱいコンプレックスなんてある。
奥二重なこと、鼻が大きいこと、二の腕が太いこと、身長に対して平均体重は重いこと。
人と自分は違うとわかっているはずなのに、どうしても比べてしまうところ。

高校生の記憶もそうだけれど、一度言われたことはいつまでも根に持ってしまうし、
自分に攻撃的な発言をしてきた人のことは一瞬で苦手になってしまうから交友関係も狭い。

そんな自分のことは「好き」とまではいかないけれど「嫌い」ではない。
「嫌いではない」というより「好きになれるために試行錯誤している」が正しい表現かもしれない。

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たくさんコンプレックスはあるけれど、大人になって「そう言えばまつ毛の短さについて高校生の時に言われたな、たしかにマスカラって面倒だしまつ毛も短いから、思い切ってまつ毛エクステしよう!」と思って、今でも月1回通っている。

おかげでマスカラを買うことはなくなったし、指名したいと思えるアイリストさんに出会えた。

二の腕やお腹が気になるなら隠れる服を着ればいい。
人と比較して、人のことを羨むのではなく、その人のいいところをどんどん真似して、吸収していきたい。
言われたことに対して根に持ってしまうのはそれだけ記憶力が良いと思いたい。

けれど、いつまでもそんなつまらない一言のせいで自分が落ち込む時間は勿体無い。
スルースキルを身に付けなければいけないな、と思う。
友だちは多ければ多いほどいいとは限らない、こんな私でも仲良くしてくれる友人がいることをありがたいと思おう。
完全な自己満足だが、それで十分だと思っている。

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学生時代たくさん見た目や中身のコンプレックスがあった。
けれど大人になるにつれて自分の見た目や中身についてとやかくいう人なんていない。

たとえいたとしても、人のことを気にするくらい暇な大したことない人間だ。
そんな嫌味を含んだマウンティング言葉に傷つかないでほしい。

自分が自分のことを好きでいられるために生きる方がずっとずっといい。
人を蔑む人より人を敬う人になりたい。