きっかけ
アイプチが夕方になると取れる
左右対称にならない

このあともつらつらと続いていくが、これは約1年前にスマホに残したメモだ。

当時、就職活動中の大学生だった私は、芸能人やインフルエンサーのSNSを見て整形願望が芽生えていた。小さい目を惨めに感じたことは無かったがとにかく可愛くなりたいと思っていた。高校時代の友人がミスコンに出てちやほやされているのを見て、可愛くなればもっと楽に生きられると信じていた。

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初めて美容クリニックに入った時、フレグランスの匂いはキツいしキラキラした空間に緊張するしですぐに帰りたくなった。カウンセリングを受けて理想を伝えて、せっかくここまで来たならと施術を決めた。目頭切開と埋没、合わせて32万。大学生のわたしにはもちろんお金は無かったがアルバイトを頑張って支払いをした。

ただ、大学生の本分は学修である。卒業論文のテーマを決めなくてはいけない時期だった。特に知りたいことが無かったわたしは醜形恐怖症(実際には存在しない外見上の欠点やささいな外見上の欠点にとらわれることで、多大な苦痛が生じたり、日常生活に支障をきたしたりする)をテーマに設定した。思い返すと、知りたいことがなかった、というのは多分嘘だ。

心の奥底では一度整形をしてしまったからこそ、自分も今後病的なまでに整形を繰り返してしまうのではないかという不安もあったのだろうと思う。今振り返ると、あえて学問として学びを深めることで戒めるという自分なりの防衛規制だったのかもしれない。

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卒論を書き終えて率直に思ったことは自分のことを大切にしたい、ということだった。ルッキズムの風潮が蔓延るこの世の中で、自分が1番自分を大切にしないと心が痩せ細ってしまうのではないだろうか。

では自分を大切にするというのは具体的には何を指すのか。あくまでもわたしの考えでは良い自分も悪い自分もありのまま認めてあげることかなと思う。かくいうわたしも自己肯定感の低さには自信があるような人間であって、そんな綺麗事わかっていても実行できる器用さは持ち合わせていない。

だからこそ不器用なりに、自分のことをなかなか好きになれなくても、とにかく認めてあげたい。

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実際に整形をして、確かに外見に自信はついた。しかし、だからと言って生きるのが楽になったわけではない。今まで通りいろいろなことで悩むし街中を歩いていて綺麗な人を見かけるといいなぁとも思う。それによって、結局は自分の内面が変われていないんだと気づいた。もともとのネガティブな性格は頻繁に顔を出す。きっとこれからもずっと。

少し前までは美容整形が一般的ではなかったし、白い目で見られたりSNSで叩かれたりすることもあったかもしれない。しかし、整形は決して悪ではない。むしろ自信をつけてくれる場合もある。ただ、外見を磨いたなら内面も磨かないとちぐはぐな人間になってしまうことを忘れてはいけないと思いながら今日も生きている。

わたしも自分を認める旅の途中。常々終わりがないなぁと思う。難しいことだけど、共感してくれる人は周りにいないかもしれないけど、一緒に頑張りませんか?