「インフルエンサーの○○、整形していたことを公表」

最近このようなタイトルをよく目にする。
以前は美しくなれるが、美容整形したことやその人の過去が公になると批判されるというタブーな存在であった。しかし最近は「憧れの有名人みたいになりたいから」や「自己肯定感が上がるから」といった肯定派が多くなっているような印象がある。

SNSでも美容整形外科のコマーシャルをよく見るようになった。
自分は美容整形したことはないが、したいと考えたことはある。

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自分の容姿を白黒つけるのであれば、嫌いだった。
中学校時代、集合写真を見て楽しかったはずなのにふてくされたような表情で写っていたこと。高校時代、学校の渡り廊下を歩いていたら突然上の階から「おい!ブス!」と顔見知りの先輩どもに声をかけられたこと。大学サークルの飲み会では、「ブスかわ」と指をさされて笑いのネタとなったことなど、容姿にまつわる出来事は悪いものばかりだ。

この容姿は親から受け継いだものであるため、親には相談できなかった。

友人に話そうかと思ったが奇しくも可愛く当時モテていた子ばかりだったため、このことを相談すると友人から卑しい目で見られるのではないか、とおそれてできなかった。
そのような出来事に遭う度「自分はブス」、「可愛くない」と責めてしまった。
今でも「自分の顔がましであるだけで、人生が大きく変わっていたかもしれない」と振り返ることがある。

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整形したいと強く思うようになったのは、大学2年生。

きっかけは定期購入していた雑誌内の広告だった。それには某美容クリニックで提供している二重施術や、鼻筋を高くすることができる手術などについて値段とともに記載されていた。容姿を変えたいと願っている自分には、「まさに!」という内容だった。
しかし施術費用を見るとどれも5万円以上だった。実家暮らしの学生には高額だった。

費用もそうだが、親からの反応を一番おそれた。
当時19歳とギリギリ未成年だったため、申し込むには親の同意などが必要になるかもしれない。そのことを親は承諾してくれるかどうかで迷っていた。
「この容姿は親から受け継いだもので、整形するということは親から受け継いだものを捨てるに値するのではないか、親がそのように思った時悲しむのではないか…。

しかし相談せずに黙って施術した場合、親は勝手に決めた自分を見て怒るに違いない」
考え込むうちに、美容整形に対して罪悪感を抱き始めた。

結果、自分を宝と思う親が悲しむ姿を見たくないという理由で美容整形を諦めた。

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のちに「詐欺メイク」や「整形級メイク」が世に出始めて、自分も挑戦した。
アイプチで二重を作る、シェービングで鼻を高くみせる、つけまつげやアイシャドウで華やかな目元にするなど。

メイクが完成した時、変わりように驚いた記憶がある。メイクだけで二重や鼻筋が高くなるなど理想の自分に近づくことができたからだ。同時に「可愛い」と素直に自身を褒め、自分そのものを受け入れられた気がした。それ以降、メイクに関する動画や記事を頻繁に確認している。

個人として美容整形自体は否定していない。美容整形で自己肯定感が上がることは、とてもすばらしいことと認識している。
しかし親からいただいた容姿は1つしかない。
1つしかない素材に対し、何を基準として美しくなるかをこれからも考えていく必要がある。

自分は当時親のことを思い整形を諦めたが、成人となり責任を負うのも自由になった。
今後ライフスタイルが変わるごとに、「整形したい」とまた考える可能性もある。
その時親から受け継いだものをどのように扱うか、また自己肯定感について検討する必要があることを備忘録として残す。