美容整形とは、適切な距離を保つことが必要だと思う。

きれいになりたい、可愛くなりたいと美容医療に興味を持つのは、ごく自然なことだろう。これまでの自分を変えたくて、自信を持ちたくてたどり着いた選択肢のひとつなのだから。どんなにきれいな人でも、かわいい女の子でも、コンプレックスはある。自分が受け入れられなければ、たくさんの人に肯定してもらえても意味がない。美容整形は、コンプレックスをなくす、もしくは良い方向へ導くためにある。

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私も美容整形を経験した人のひとりだ。私が行ったのは二重整形。いわゆるプチ整形と言われており、今ではこのくらいしていて当たり前と認識されているかもしれない。

美容整形を考え始めたのは大学生の頃。それまでは、直したくてもメスは入れたくない、お金はかけたくないと触れないようにしてきた。「整形」というイメージが恐ろしいものだったという理由もある。多額の費用を払って、骨を削り、美しさを手に入れる。ときには人間らしさを失った機械的な笑顔を余儀なくされるようなイメージだ。

このイメージが払拭され始めたのが大学生のとき。テレビCMで二重整形術が手を伸ばせる値段で行っていると放送されていた。いろんな場所やタイミングでCMや広告を見る機会が多くなった私は、履歴に残らないように工夫をこらし、ネット検索をした。どのような方法で手術を行うのか、確実に永久に使える二重が手に入るのか、などを調べた。

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さすがに調べて情報を手に入れると、そこまでしなくても良いか、と思うようになった。第一、親にバレるのは目に見えていたからだ。手術をするなら、誰にも知られずにやってしまいたかった。マイナスやイメージや、目を手術する怖さもあり、これ以上は気にしないようにしていたが、のちに手術をする。きっかけは、大学の友人が手術をしていたとわかったこと。

とある昼休み、学食で友人と昼食を食べていた時のこと。4人がけのテーブルの向かいに座っていた友人を見ると、なんとなく違和感があった。私の隣に座っていた友人も同じことを感じたらしく、心を決めて質問をした。

「もしかして、した?」
向かいに座っていた友人は、高らかに笑い出す。バレた?と笑顔で返した。友人たちは、否定的な捉え方をしなかった。むしろ、ダウンタイムやお金のことなどを次々に聞いていた。友人たちの中で、二重整形はそのくらいの感覚なのだ、と思えたことで安心したのを覚えている。絶対ダメとはならない価値観を持ってくれていたことも、私が整形をすると決める要因になった。

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美容整形は、一度すると二度三度と手を入れてしまう人もいると聞く。さらにきれいになりたい、理想を叶えられたから次のコンプレックスを解消したいと思うようになる。欲求がどんどん高次に移行していくのだ。最終的に何百万円というお金をかけて手術を行う人もいる。芸能人でも整形を公表している人がいるが、価格を聞いて毎回驚いてしまう。

そうは言っても、本人が満足しているのなら、こちらが否定する筋合いすらないだろう。こちらから何かを言うのであれば、何度も高額な手術に踏み切り、機械的な表情を浮かべる顔を理想としている場合だ。すでに美容整形をいくらしても満足できない感覚が身についている。これでは、適切な距離感を保っているとは言えない。

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美容整形は、病的な理由ではなく自分の希望で医療を施すもの。目標を達成すると、さらに高い目標を立てるように、美容への意識も高くなる。すると、距離感もうまく測れなくなる。中毒性があるとも言えよう。

自分に負荷をかけ続け、なりたい顔や体になるために美容整形を繰り返すのは、美容整形との正しい距離感を逸脱している状態。一定の距離以上離れているから客観視できることがある。安全か危険かを確かめられる方法がある。

理想を追い求めるのは個人の自由。どれだけ完成度を高めるかも本人の自由。ただし、夢中になりすぎて周りが見えなくなるくらいに距離を詰めてしまうのはやりすぎだ。美容整形は、自分にブレーキをかけられること、適切な距離感を保つことを決めて向き合うものであると私は思う。