ある日、SNSをフォローしている女性インフルエンサーの新しい投稿が目に入った。
「念願の二重整形をしました!」
他人の整形に、あれこれ言う資格はない。自分に影響が出るわけではないし。なのに、この投稿を見て、ショックを受けた。そして、彼女のフォローを外した。
彼女の目は元々一重まぶただった。本人はコンプレックスで悩んでいると話していた一方、一重向けのメイクテクニックをはじめとした、女の子が可愛くなれるアイデアをこれまで発信してきた。インフルエンサーとしての注目度はさらに高まり、現在も幅広く活動している。
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きっと彼女に励まされていた女性は多かっただろう。「二重まぶたが可愛い」という認識を持つ人が多い中、「二重まぶたでなくても可愛いを諦めない」という希望を与えていた。そして、彼女はそれを体現していた。本人は一重まぶたがコンプレックスと言っているが、むしろチャームポイントにも見えた。
私も彼女に励まされていたフォロワーの一人だった。奥二重で面長の自分の顔が苦手で、写真を撮られることを極力避けてきた。彼女のSNSを見つけてからは、彼女の可愛いをつくるテクニックを頻繁にチェックし、できそうなものは実践してみた。私がメイクを楽しめるようになったきっかけの中に、間違いなく彼女の存在があったと思う。
だから、彼女が美容整形をして二重まぶたを手に入れたという報告を受け、不本意にも悲しくなってしまった。容姿のコンプレックスに悩む人が、解決法の一つとして美容整形を検討することは、ごく自然なことだと思う。それで本人が生きやすくなったり、楽しく過ごせるのなら尚更だ。
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実際に、私の地元の同級生で美容整形をした女性がいる。成人した彼女の写真を見て整形したことは分かったが、特に何の感情も抱かなかった。彼女がコンプレックスを抱えていることを知っていたため、むしろ「よかったね」と思っていた。
しかし、インフルエンサーの彼女にはそんな思いすら抱けなかった。そして、不信感が増していった。それは二重整形に対してではなく、彼女の伝え方に対してだ。
これまで一重まぶたに悩みつつもポジティブに可愛いを発信していたのに、何の前触れもなくいきなり二重まぶたに整形したと報告した。それだけでもこちらとしては少々驚いているのに、「一重まぶたを抱えていることが苦しかった」「二重まぶた最高!」といった内容を立て続けに発信したのだ。
その発言にもやっとした感情を抱いてしまった。自分の容姿を受け入れるきっかけを与えてくれた人が、いともあっさり整形してしまった。この一連の流れで、一重まぶたの魅力が否定されたかのように感じてしまった。「結局二重まぶたが最強説」を説いているように捉えてしまった。端的に言うと、裏切られたような感覚に陥ってしまった。
時折見られる、推しのアイドルが結婚してショックを受け、推しを降りるファンってこんな感じなのだろうか。
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素直に彼女を応援できなくなって、フォローを外した。普段は一般人や芸能人の整形には反応しないのに、彼女の整形は受け入れられなかった。
それはきっと、彼女がインフルエンサーだからだろう。人気であればあるほど、発言や行動の影響は大きくなる。
「コンプレックスがあっても可愛くいたい」と言っていた彼女の影響は、少なくても私には大きかった。だからだろうか、今回の二重整形は「容姿が嫌なら整形すればいい」というメッセージと捉えてしまった。彼女に対してもやもやするが、そう思ってしまった私ってもっと嫌な人間だなぁ。実際に美容整形を非難する声はほとんどなく、「おめでとう!」「よかったね!」と祝福のコメントで溢れかえっていた。
美容整形をするという行為は、ある程度の年齢を超えたら、個人の自由だと思う。自由だからこそ、自分で考えて選んだ方がいい。身体にメスを入れるのだから。誰かの一声でころっと決断するようなことではない。
そんなことを、電車内で美容整形の中吊り広告を見ながら考えた。