「なにか生きてる中でこだわりってある?」
プレゼンの最初、アイスブレイク感覚で社員さんがみんなに聞いた。
シャンプー、朝のコーヒー、メイク、ネイル
次々と答えが出て、どうしようと焦っている間に私の番が来てしまった。
「なつめは?」
なんでもいいから早く言わないと。テンポとノリが悪いことは体育会系のこの職場では致命的だ。わかっているのに、考えるほど、思考回路が止まったとかではなくて、本当に私の中には何もなくて真っ白になった。
◎ ◎
結局私は何も答えられなかった。
全部、どうでもいい。
今日のお昼ごはんも、友達がいないと言われることも、恋人も、仕事が大変なことも、貧血のせいで常に付き纏う倦怠感も。全部、こだわりなんか持っていたら、それが叶わなかった時にぽきりと折れて立ち直れなくなるんじゃないかと思った。
生きてて自分の思い通りになることなんてそうそうない。
食べたいものを食べても、その後で太ったと後悔する。
友達がほしいと思って、誰も周りにいなければ孤独感に苛まれる。
自分の本当に好きな人と結ばれなかったら、もう戻ることなんてできないのに、何かに目を瞑りながら別の人の愛を享受するのに耐えられなくなる。
自分で望んで始めた仕事も、思っていたのと違うと感じてしまえば、どのみちやらないといけないくせに面倒だと思い続けなければいけなくなる。
普通はもっと体が軽くて、こんなにすぐに疲れることもなくてと思えば、自分の体が嫌になって動きたくなくなる。
私は、自分を守り、自分の生きたいように生きるためにこだわりを持ちたくない。
だからロールモデルも描きたくない。理想なんてもったら悲しくなる。辛くなるから。
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かと言って全てを諦めているわけでも、ただ流されて生きているわけでもない。
理想なんて持たないと言いつつ、自分の中に抽象的なこうありやいという思いがあるのを私は知っている。それが簡単に成し得ないくらい自分が欲張りなのも嫌というほど知っている。
はっきり言って面倒臭い性格をしているなと自分でも思う。「もっと手を抜けばいいのに」「身体壊さないようにね」「なんでそんなに頑張るの」。他の人にも今まで幾度となく言われた。
放っておいて欲しいと思った。分かってる。妥協すればいい。でも、体調崩して、ほら見たことかと言われるのが嫌で不調さえ隠して走り続けた。上なんか見なければいいと思うのに、何をやり遂げても、上には上がいると煮え切らない思いに駆られて結局また手を動かした。
◎ ◎
一寸先は闇だ。先に立つ道標がないのはしんどい。でも正解がないということは裏を返せば何をしても正解なのだから、私さえ満足できればそれでいい。私だけが満足できることは周りが引くくらいしんどいことだという現実だけ今は無視している。そうじゃないといつまでも私は私を認められない気がする。幸せになれない気がする。
だから、私の通った道こそが自分のロールモデルだと思えるように、後悔なんてしなくていいように、私はこだわりを持たないことで弱い自分の心を守りながら生きていく。