逃げることは負けだと思っていた私だが、逃げてみて思うのは、その選択肢も悪くはないということ。実際に社会に出てみると逃げたくなる場面というのは多々出てくるし、逃げることが必ずしも悪だとは限らない。

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新卒で入った会社を辞めたのは今思い返しても、完全に“逃げ”だと思う。
営業として入社してからまだ数ヶ月の私に、とんでもない量の仕事が降りかかってきた。
3年目の先輩は、「自分が新卒でこの仕事量渡されたら、次の日から会社来なくなるわ」と、私の横で呟いていたのを覚えている。

それほどの仕事量を、入って2~3ヶ月の私が処理できるわけもなく、キャパオーバーになった挙句休職した。

休職にたどり着く前に、私の体はいくつかの危険信号を発するようになった。
まず、前任の先輩から営業先の引継ぎを行ったあと、あまりのプレッシャーに寝られなくなる。「今度からは、komanaさんに連絡すればいいんですね」という先方の言葉に心がえぐられるような感覚になり、目をつぶっても眠りにつけず、気が付けば朝という日が続いた。

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膨大な仕事量を目の前にして、デスクの周りに上司や先輩がサポートでついてくれるようになった。心遣いやその優しさに感謝するとともに、それすらもプレッシャーに感じてしまう自分がいた。たまに先輩同士が、私のサポートをする中で、各々のやりかたの方向性の違いで口論を始めるなど、トリッキーな状況に囲まれつつ仕事を進めていったのを今でも覚えている。

営業の方法に正解などなかった。各々が独自のやり方を確立していっているため、周りに仕事を尋ねても、10人が違う返事をするのだ。当時の私にはそれがかなりのストレスだった。

そんな日がしばらく続いていたある日、朝起きると運動をした後かと疑うほどの汗をかいていた。季節は夏だったが、部屋は一晩中エアコンをつけていたため、大量の汗をかくような環境ではなかった。着ていたTシャツは水を被ったように濡れている。
その日は気にしなかったが、寝起きの汗はそれからずっと続いた。

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そんな日々を送っていると、そろそろ私にも限界がくる。
ある日、直属の上司が営業に同行してくれることになった。私の業務量を常に心配していてくれており、自分の仕事もあるのに、いつも私の業務を手伝ってくれるような人だった。

朝礼が終わってすぐに営業車に乗り込み、少し遠い営業先へ車を走らせ始めた時、助手席に座った上司が「仕事大丈夫?営業先から何か嫌なこととか言われてない?」と尋ねてきた。
その瞬間、私の目から大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちてきた。会社の目の前の大通り、車の交通量が多い中、私の視界は涙でかすんでよく見えなくなっていた。

「もう無理です。限界です。何がなんだか分からなくなってしまいました」

車を運転しながら大量の涙をこぼし続ける私に、30歳ほど年上の上司は扱いに困って、わかりやすく戸惑っていた。

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「運転代わるよ」と言ってくれた上司の優しさを振り切って涙を拭い、そのまま高速道路に入り、目的地の営業先に車を走らせたことを今でも覚えている。

それからすぐ他の同期達と一緒に、通常業務から離れて仕事をすることになった。そのおかげで心はずいぶんよくなったが、その業務が終わるころ、通常業務に戻ることを考えるだけで身体が動かなくなった。流石にまずいと思い、心療内科を受診して休職した。

結局そのあと退職してしまったが、その選択は間違っていなかったと思っている。
あのあと復職したところで、ボロボロの心が治っていたはずがないし、生きていたかも危うい。

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嫌な期間ではあったが、身体からの危険信号を知るいい機会だったと思うことにしている。
追いつめられると、こうなってしまうのだと身の危険を感じるほどの日々だった。
そして何より、自分は営業職に向いていないと知れたのは大きな収穫だと思う。今後二度と営業なんてやらない。

後から同期達に聞いた話だが、社内のおじさま社員たちは、そのような危険信号を受け取りながらもなお働き続けているのだという。
働いてお金を稼ぐことは大切だが、なんだか命の前借をしているような気がする。

そういう心と体のキャパは人それぞれだが、自分にとってどこでどう判断をすることがベストなのか、考えていかなければならないと思った期間だった。