すっぱりと、人から逃げてよかったと度々思う。
私は、たぶん世の中でいう人間リセット型というものなのだろう。何かの区切りのたびに人間関係を一度リセットする癖がある。だから、もう学生時代の友人はほとんどいないし、前職で関わりのあった人の連絡先は知らない。

ただ、今回は中でもこれは本当に逃げてよかったと思うことを一つ紹介したい。
それは「家族から逃げること」だった。

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特別家族と仲が悪いわけではない。むしろ良好な関係を築いていると思う。傍から見たら本当に仲が良くて、何も問題がない綺麗な家庭に見えただろう。そうでなければ困る。そう見えるように私は幼少期から必死だったのだから。

簡単に、家族構成を紹介しよう。数個年上のきょうだいが1人。重度の自閉症と知的障害を併せ持っていた。そして私が小学1年生のときに産まれた可愛い妹。この間にいる私。そして献身的な母と仕事で忙しい父。想像してほしい。この家庭で、私の立場になったときにどのような役割を選ぶか。私は幼少期に、家族内での役割を間違えた。よくある話だと思う、アダルトチルドレンだとかヤングケアラーなんて言われるのだろうか。当てはめようと思えば私はそれに当てはまった。

上の子ばかりを見つめる母に甘えることはやめ、下の愛らしい妹は私が育てた。育ちの良い子と思われたくて外でも立ち振る舞いを意識した。すると大人たちは私を頼った。「ああ、これでいいんだ」と幼少期の私は思って、それを信じて過ごしてきた。これが私の役割だと思っていたのに、それは大きな間違いだったと、とあるきっかけでそのことを突きつけられ、私は大きく体調を崩すことになる。

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自分が大人になるころには、自分の過ちを「罪」と称して常に反省していた。家族と同じ家で生活することそのものがストレスになり、どんどん体調を崩していった。

仕事を始めて十分に一人暮らしができる資金はあったのに、どうしても実家を出ることができなかった。それは家族から離れることが「逃げる」ことであって、それは「悪い」ことだと思っていたからだ。家族は私がこんなに悩んでいることを知らない。私が離れることで家族のバランスが崩れてしまうのではないかと本気で思っていた。この頃が一番辛かった時期だったと思う。

周りの人には、やっぱり良い家庭だと思ってもらいたかったし、なんなら自分の家族にも良い家族だと信じてもらっていてほしかった。実際に、私の家族は少し他と違うけれどそれなりに幸せな家族だと信じていたのだと思う。ここに、毎晩眠れないまま耳をふさいで涙を流している人間がいるなんて夢にも思っていなかったと思う。

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けれど、さすがに私も人間だったようだ。限界がきた。
精神科の先生から、家族から離れるよう強く勧められた。入院という一時的なものでもいいが、根本的な解決にならないから、と。私は「それは逃げるということでは」と聞いた。それは、ずるいことでは? 誰かが苦しむのでは? 私の疑問に先生ははっきりとおっしゃった。

「これは自分を守ることだ。苦しいのは君ではないのか」と。
そこで初めて私は、自分が苦しいのだということに気付いた。形の上では逃げるという方法かもしれない、けどその言葉に納得ができないのであれば「守る」という言葉に変えていい。そう思ったら、ひどく悲しいけれど決心がついた。

結果として、私は今一人暮らしをしている。
初めのころは何度も「家に帰ってきて」と言われて大変だったが、今はよい距離感を保っていると思う。未だに幼少期の自分の行動については許せていないし、この逃げることが本当によかったことなのかまではわからないけれど、正しく反省をするためには、まずは自分が安全な場所で、ゆっくりと考えることができる環境が必要なのだと思った。

「逃げる」それは自分を守り、そして過去や今、未来を見つめるための準備のことなのだと思う。