逃げるのは悪いこと?弱いこと?意味のないこと?
否、自分を守り、 進むためのこと。
◎ ◎
私には大学入学当初から仲良くしていた友人が一人いた。
地元が近いということから自然と仲良くなり、大学での時間のほとんどを彼女と過ごした。
そうは言っても大学外でも常に一緒にいるわけではなく、互いのスケジュールに関与せず
たまに外でご飯を食べるくらいという、程よく干渉しない関係が好きだった。
そう思っていたのはもしかしたら私だけだったのかもしれないが。
年次が上がり、大学3年の中盤から私たちは実習で仲良くなった二人と一緒によく四人でいるようになった。それはそれで悪くない雰囲気だったが、あまり好きではないことが一つあった。
「でもそれってさ〜」
「いや、それ絶対間違ってるって」
四人のうち会話のほとんどが否定から入る友人のこの言葉を聞くたびに気が滅入った。
友人は自分の世界の論理が正義だと思い込んでいるタイプで、様々な物事に対して少しでも自分の型から逸脱していると否定するタイプだった。
◎ ◎
「でもこういう考え方もあるよね?」
「うーん、でもそれじゃダメだよ」
いくらこっちの意見を伝えても彼女の中でノーならノーなのだ。
こういった何気ない瞬間に違和感を覚えつつも日々を適当に過ごしていた。
しかし小さな歪みがいつか物を破壊するように、私たちの仲は瓦解した。
「え、どこにも通らなかったの?これから大学院受けるの?」
「え、うん。だってリベンジしたいから」
「うわ〜、ないわ」
それなりに大学を卒業し、それなりの会社に就職し、いい年で結婚出産し人生を送る。
いわゆる王道と呼ばれる人生が彼女の正義だとすれば就職活動を失敗し大学院を受験する私は明らかに友人の正義から逸脱していた。
まるで汚いものを見るかのように向けられた目を忘れはしない。
別に友人にどう思われようが私にはどうでも良かった。
友人だけでなく彼女すらも私をそういった目で見たことがショックだった。
友人の気に触れた私は卒業3ヶ月前にして輪の中から抹消され友達を失った。
◎ ◎
そうは言っても毎日卒論執筆のために部屋で顔を合わせることに変わりはなかった。
すぐ後ろの席でわいわいやっている彼女たちの声をイヤホンで塞ぎ
一人になったこと孤独感を卒論や受験の準備をすることで気を紛らわせた。
「睡蓮さんさ、あのグループから離れて正解だったよ」
ある時これまで話したことのなかった同じ学科の男子からそう声をかけられた。
「どういうこと?」
「今卒論でみんなピリピリしてるのに、あの子らうるさいってみんなに疎まれてるんだ」
「え、そうなんだ」
「うん、あそこにいたら睡蓮さんもイタイ目で見られてたかもしれない」
「そっか、ありがとうね」
同情でかけてくれた言葉だったかもしれないが、私にはありがたかった。
「ねえ、もう帰る?話があるんだけど」
卒業式の日、集合写真を撮り終え大学を後にしようとしたとき、久しぶりに彼女に声をかけられた。
◎ ◎
どんな顔で私を見ていたか、内心は顔も見たくないなかったので覚えてはいない。
けれど、私は声のした方へ振り向き笑顔で答えた。
「うん、もう帰るよ。じゃあね」
返事を待つことなく彼女から顔を外し歩き始めた。
また、なんてない。家に帰る途中、私は彼女のLINEアカウントをブロックした。
もう5年も前のことなのに今でも鮮明に思い出せるのは後悔があるからだろうか。
意図も容易く壊れる人間関係に築き方だっただろうかと、自分を悔いた時もあった。
けれど結局戻ってくる答えはノーだ。
半ば強制的とはいえ、私は違和感のあるコミュニティから逃げた。
その輪にいた時には気づかなかった人の温かさに助けられ、私は生きることができた。
自分の人生を否定せず、次に進むことができた。
逃げるということは自分の人生を肯定することだと知った。
ありがとう、私はあの時あなたから逃げたから今が幸せだよ。
意地は悪いかもしれないが少しだけ皮肉を込めてこの言葉を彼女に贈りたい。