「あなたは3年後どうなりたいですか。」
今年29歳の私にとって最大に難しい質問かもしれない。にこやかに言うベンチャー企業の面接官にフリーズした。
◎ ◎
「プライベートを充実させて、難しい時はあっても乗り越えつつやりがいと楽しさを持って働き続けているようになりたいと考えています」
本当にそう思ってる?とどこか疑い深い目をこちらにむけていたように思う。
数日後に不採用通知が届き、転職活動期間延長確定までをきっちり頭の中で妄想した。
20代前半の時なら、もっとこんな仕事をしたいとか具体的に言えたのかもしれない、30代を目前とする今が1番想像つかない。
3年後私存在してるのかと考えながら言ったから、そりゃ不採用だ。
そもそも3年後の自分の姿を想像しながら生活している人なんて、世のなかで何人いる?そんなみんな計画的に生きてる?
それに人に話す機会なんてめったにないんじゃないだろうか。
◎ ◎
社会人になった23歳から今までを振り返るととにかく思い描いた理想と違いすぎて、望んだ社会福祉の仕事に関しては特に失敗や挫折の連続だった。段々生きていくのに必死で、それが大人になるってことかと勝手に思い始めるぐらい。夢や目標を見つけて目指せたら素敵だけど、母がいつしか言った歳をとることは毎年何か一つ手放していくという言葉の方がどこか現実味があった。
その廃れた考えが見事に冒頭の質問によって裏目に出たのだが。てっきり即戦力になるかどうかの経験や志望動機を聞かれると思っていたのに、山が外れた。
「あなたの3年後のなりたい姿があまりに抽象的で気になりまして」
翌日、昨日の面接官からもっと具体的に3年後のなりたい姿をはっきりして最終選考に挑んでほしいと連絡があった。
こうして私は今自分にとって今難しい質問を深めさせられる結果になったのである。
◎ ◎
3年後といえば、31歳。
20代が終わり、30代の始まり。
母の年代でいえばちょうど私を産んだ年齢だ。
30代になると何かが決定的に変わりそうな気がする。
いろんな種類の不安が混ざり合ったような感じに近い。
20代前半の私はすぐに歳をとりたかった。
社会人になったばかりで舐められる自分も、年配や同年代の男性に性的に見られがちな自分も嫌いだった。早く歳を重ねればいいのに、そしたら、こんなに仕事以外で嫌な気持ちは無くなると思っていた。
結局それ以外の理由で熱意を持った社会福祉の仕事でも理想と現実にや自身の未熟さに耐えきれず、挫折して辞めることになる。
その後は人生さ心がボロボロになることが多いから、自分の心を守って生きようと社会福祉分野を避けての転職だった。
◎ ◎
私はいったいどこに向かって、どんな暮らしがしたいんだろう。どれだけ考えても答えは出ない。結局、自分がどんな人生を送りたいかではなく、自分の生きやすい方を選択してきたから、今更その答えは出なかった。
そうこうしているうちに答えが出ないまま最終面接の日を迎えてしまった。
「あなたの3年後に働いてなりたい姿を具体的に教えて下さい」
面接が開始してやっぱりすぐに恐れていた質問が開口一番に投げられる。
言葉に詰まって訪れた沈黙で気まずいなか、ほんの一瞬、亡くなった祖父と友人の顔が浮かんだ。
「本当に申し訳ありません、失礼で勝手ながら辞退させて下さい。」
なんでかよくわからないが、気づけば、発していた。本音と建前なんて全部どこかにぶっ飛んでいた。
「どの仕事も人の役に立つ素晴らしいことだと思います。ですが、抽象的だった私にとってのやりがいで楽しさが持てる仕事は生涯きっと社会福祉分野の仕事だけなのかもしれません。サポートが必要な方が自分の力で人生を歩む姿を私はそばで応援する仕事に就きたい。3年後もこの先も。ずっと生きることを頑張る人のサポートがしたいと御社の面接を通じて改めて感じました。気づけるご機会を頂いたこと本当に感謝しています」。
◎ ◎
すぐに面接は打ち切られるものと思っていたが、予想外に続きを促され、思いのままを話していた。
「あなたの就職活動が上手くいくことを願っています」
数日後に改めて不採用通知が届き、その後地元の小さな地域の病院で社会福祉士として相談員の仕事をすることになった。
今でもこの選択が正解かはわからない。
けど、30歳を迎える時、1番私がわくわくしている選択であることだけは確かだ。
向こうに逝った時、先にいる友人と祖父に会えたら、2人のおかげでまたなんとかなった瞬間だと話そうと決めている。