逃げるという決断をするまで、心のなかで幾度となく討論がされて、悩んで、どうしようもない気持ちに苛まれる。吐き出したくても、甘えだの、意気地なしだの、周りの評価は目に見えている気がしてならない。どんどんマイナス思考になっていく自分。
逃げ出したいと思う気持ちは日に日に大きくなる。しかし、行動に起こす勇気はまだない。つらい、苦しい、どうにかしたい。負のスパイラルが大きくなっていく前にピリオドを打ちたいと、なんとか突破口を探そうとする自分もいた。
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私がこの気持ちを体感したのは仕事。将来の夢でも、直近で憧れを抱いた仕事でもない職に就いた。興味も関心もまるでなく、ただ少しだけ目指していた仕事とフィールドが似ていたからいいだろうという安易な気持ちで身を置くことにした。仕事をするために勉強をする。
それは良かったけれど、実際に仕事に反映することができなかった。自分に求められていることと、自分ができるレベルが違いすぎて、毎日悩んだ。仕事は、サービスを受ける人にとって常に100%できていることが当たり前だと思われる。全員が同じことをできて当たり前なのだと。こんな事もできないのか、ならばプロとして仕事に携わるな、間接的にそのようなことを言われたこともあった。
次第に私は気持ちが折れていった。求められていることができない。自分のことで精一杯になり、職場や相手の気持ちに寄り添うことなどできない。自分はこの場所でどう過ごしてよいかわからなくなった。早く逃げたい。ここではない何処かへ行きたい。就職して早々に、逃げ場を求めるようになった。逃げ場を求めると、私の思考は急加速を見せる。
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スマホを手に取り、情報を集め始める。本当に自分がやりたいこと、元々興味があったこと、手当り次第検索をしては画面を閉じて葛藤した。逃げ出すにはそれなりの準備が必要だ。とはいえ、仕事をやめれば生活ができなくなる。新しいことに挑戦しても、必ず成功するとは限らない。今のまま働き続ければ、経済的には安泰。周りからの評価も保たれるだろう。
そんな思いが頭の中を駆け巡る。結局いつも同じ結論に至って、今は動かないでおこうと考えるのをやめる。そしてまた、検索をして考えてはやめて、を繰り返す。数分後に同じSNSを開いてしまうあの現象みたいに。
続けていた結果、心の蓄積はキャパを超えた。もうダメだ。と自分の中でSOSを出す。心がはち切れる寸前、水がコップのフチで表面張力を貼っているくらいギリギリの時、仕事をやめる決断をした。それも、翌日から仕事を強制的に休む形で。いわゆる「逃げた」という状態。やっとの思いで見つけたリタイアの扉だった。
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逃げてしばらく経った時、心が楽になっているのに気づいた。苦しい気持ちで支配されていた気持ちが小さくなり、毎日が楽しく迎えられるようになった。明日は仕事、という感覚がどれほど自分を締め付けていたのか、苦しめていたのかを実感したのだ。
何もすることがなければ、それはそれで堕落な生活に落ちぶれてしまうと思ったので、規則正しい生活を心がける。それからさらに数ヶ月たったとき、正式に退職をした。
この決断に後悔はしていない。力づくで逃げたかもしれないが、苦しい気持ちからは開放された。何も感じなかった私の心は、楽しい、幸せという感情を知る。環境を変えて再スタートを切った今では、前に比べれば大幅に生きやすくなったとも感じている。
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逃げることは勇気がいることだが、自分を変えるために必要なことでもあった。周りの目を気にしてしまうことは今でもある。しかし、自分がどうしたいか、チャレンジしたいことを封じ込めてしまう方がよっぽど窮屈でつらい。
生きやすくなったとはいえ、行き詰まることもある。これからについて考えることもある。あのとき検索していたやりたいことは、未完成のままだ。それでも、苦しいと人知れずもがいているならば、逃げるという選択肢を持ち、実行してもいいのではないだろうか。それで自分にとって良い刺激だと感じられるなら、行動を起こして良いと私は思う。