私はたくさんのことから逃げてきた。
中学校の部活、大学の部活、インターン、新卒で入った会社、2社目の会社。そして、正社員。社会人。
そして、高校生から使ってきたインスタのアカウントとTwitter。リアルでも、ネットでも人間関係から逃げた。
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トントン拍子に逃げてこられたわけではなくで、両親に「逃げ癖がつくから続けろ」とひどい叱責を受けたり、自分の中でもある程度重い葛藤はしてきた。
今思えば、運動音痴でASDな私が体を動かして空気を読むチームプレーなんて無駄な努力なのはわかる。
今思えば、都心に住むお金持ちばかりが集まる体育会系で、バイトもしなきゃいけないし病気もあるし家も遠い私はいつか辞める運命なのはわかっていた。
発達障害の私は、一般雇用は無理。理解のある職場で働くべきだった。
これだけ部活や会社から逃げてきたから、自己分析は様々な角度から何度もした。
その結果、逃げてきたことは明らかに向いていなかった。もちろん、逃げてきてよかったとしか思えない。
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問題なのは、不器用な私は、派手な失敗や人様に迷惑をかけて逃げることでしか自分に合った環境は見つけられなかったこと。
つまり、悪目立ちしてきたということ。
そこは自分の中で許せなかった。誰にも迷惑をかけず、ひっそり生活していたい。みんなみたいに器用でいたい。部活なんて辞めたくなかった。体育会にいたかった。大手企業に勤めていたい。「普通」でいたい。
ちょっととりあえず、自己分析で習った通り、一旦視点を変えて、逆に続いたことを考えてみよう。
大学受験。英語の勉強。「普通」でいる努力。自分に向いていることを探す努力。かわいいカノジョでいる努力。
さて、私は全部並べる前にある特徴に気づいた。
私は自分との闘いが向いているようだ。
チームプレーや会社員など、周りが軸になっている、いわば相対評価的な努力はきっと無理。大学受験も、英語も、結局は絶対評価。受かればいい。話せるようになればいい。
きっと、チームプレーな仕事をする会社員でいるというのは中学校と大学で逃げた部活みたいに、無駄な努力だったんだろう。
これまで一心不乱に自分を高めることはできた。ゲームだって相手がいるような戦う系は苦手だった。
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ここでやっと、”自分の歩幅で”、とか、”自分らしく進もう”的な歌詞がやっと理解できた。
なんだよーそういうことかよー絶対評価でいいってことかよー。
正直、こういう歌詞に共感するかというとそうでもない。「世の中で、失敗しながら自分のペースで進んでる人はどうやら私だけじゃないらしいな」くらいにしか思えない。
とりあえず、自分の歩幅で、自分らしく生きていくしかないみたい。
きっと私は、全ての根本にある「普通」でいるという努力が向いていなかったみたい。
今できる最大の逃げは、”多様性とかいうこの時代に生まれてよかったー。自分との闘い、ゆるゆる頑張りまーす。”って正当化すること。
いつかきっと、「普通でいる」という努力からは逃げてよかったと思えるはず。
今LINE見たら、今夜一緒にディナーに行く友達二人(もちろん2人とも大手企業のOL)から連絡が来ていた。一人は重めの仕事が入ったからキャンセルできないかどうか。もう一人は突然仕事が舞い込んだから遅い時間にできないかどうか。
あ〜あ、もう知らない。お風呂入ってゲームしよ。さようなら、私の「普通」のOLライフ。