『あの子』がいたから、私の人生は鮮やかだった。
彼女は私の人生に沢山の色をくれた。彼女がいたから私の毎日はキラキラと何よりも眩しく輝いた。
喧嘩をしたり、仲良くしたり。どうしてだかいつも隣にいるあの子
あの子は同い年の女の子。転園した先の幼稚園で出会った。
色素の薄い髪とぱっちりとした二重の西洋人形のような子で、日本人形じみていた私と正反対の子。
初めて会った日のことはよく覚えている。
互いの名前も知らない状態で取っ組み合いの大喧嘩をしたからだ。理由は覚えていない。
その後も私たちは毎日喧嘩し、それでもどうしてか隣同士にいる。
そんな関係だった。
小学校も一緒だ。
三年生まで毎日喧嘩しながら、四年生くらいからは仲良く一緒に帰るようになった。少し互いに大人になったのかもしれない。
中学生になり、クラスが分かれ、部活が分かれた。
自転車通学になったこともあり、話す時間はめっきり減った。
それぞれ違う友達が出来て、違う場所で過ごすようになった。
だから驚いた。
まさか高校まで、ましてや部活まで一緒になるとは思っていなかったから。
私とあの子は揃って演劇部に入った。
中学時代ほとんど一緒に過ごしていなかったこともあり、部活が同じだからといってよく話すわけではなかった。
それに寂しさを覚えなかったといえば嘘になる。
彼女は溌剌としていて、明るくて、気さくで、男女ともに人気があった。
ずいぶん遠くに行ってしまったなと思った。知らない人になってしまったようだと。
演技指導が苦手で逃げた私。変わりに手を挙げてくれたのは…
私は演劇部の中でも演出という立場についた。役者の演技や音響や照明などを見て、調整したり指示をしたりする立場だ。
私は先輩たちに演技指導をするのが苦手だった。ひたすらに怖かった。
演劇部に入って二回目の大会のミーティング。私は演出担当に立候補出来ないでいた。みな私が手を挙げると思っていたのだろう。戸惑った空気が流れた。
誰もが私を見ていて、「君がやらないと誰がやるんだ」と訴えていた。先輩が卒業し、私の他に演出を担当したことがある人間がいなかったからだ。わかっている。わかっているけど、どうしても手を挙げられなかった。
そんな中、大道具だったあの子が高々と手を上げた。
「私、前からやってみたかったんですよね、演出」
そう言った彼女は凛としていて、私には輝いてさえ見えた。
ミーティングは無事終わり、彼女は演出、私は舞監補佐に決まった。
その日の帰り道、先を歩く彼女に声をかけた。お礼が言いたかった。
たとえ私のためじゃないとしても、あの時手を挙げてくれたことがただ嬉しかった。
思い出にはいつも彼女がいた。またいつかお礼が言えるその日まで
「ありがとう」といった私に彼女は前を見たまま言った。
「次お礼なんていったら、ぶっとばすから」
それから続けた。
「やってみたかったのは本当だから、気にすんなよ」
そうかと笑った私に、彼女はそうだと頷いた。懐かしい気持ちだった。
小学生の頃に戻ったような、そんな気持ちだった。
そうして気付けば私はまた彼女の隣にいた。彼女も私の隣にいた。明るく気さくだが、その実猫っかぶりで口が悪い彼女は相変わらずだった。
毎日一緒に帰るようになり、いつだって二人で演劇の話をした。
彼女がいたから、毎日の部活はより楽しいものになった。思えば、彼女がいたから幼稚園でも小学校でも退屈ではなかった。
私の思い出のいたるところに彼女がいる。
喧嘩した通学路。野犬に追いかけられた路地。二人でいった京都。貸し借りしあった漫画。
何気ない日々のあらゆるところに彼女はいて、いつだって私に沢山のものをくれた。
彼女そのものが思い出の集合体のようだった。
それが、あの子だった。
今、あの子はどこにもいない。
まるでフィクションのように、一通のメールを最後に音信不通になってしまった。
彼女の家を訪ねたけれど、対応してはもらえなかった。
高校の同級生たちも誰も彼女の行方を知らず、困惑した。
電話もメールも今はもう通じない。彼女がどこにいるのか。生きているのかもわからない。
そうしてもう、十年が過ぎてしまった。
今は何処にもいないあの子へ、また「ありがとう」といいたい。
ぶん殴られるかもしれないけれど、それでも大きな声で言いたい。
そうしてできればまた、彼女に会いたい。