「わたしのロールモデル」と、私はその人のことをそう思うことにした。いや、実際そうだったのだと思う。だからこそ、恋をしたのだ。アルバイト先で知り合った、同い年の男の子。物事をはっきりと口にし、揺らがない自分を持っている。かと思えば物腰柔らかな一面まで持ち合わせている。

人は、自分に無い一面を持つ者に憧れる。尊敬の念を抱く。そして時に、それは恋心へと育ってゆく。

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私は、私が嫌いだった。心底、嫌いだったのだ。小学5年生のとき、全校生徒12人程度だった私の母校は、閉校した。近隣の学校と合併し待っていたのは、辛い思い出だった。いわゆるいじめ、というやつだ。「うぜえんだよ、そこのブス」「お前、いらない」「きも…」私に容赦なく刺さった針のような言葉は、大学3年生になった今も、どうやらまだここにあるようだ。

移動教室や休み時間、気づいたら独りぼっち。孤独が襲い掛かった。いつからか、浮かないことを、人と違わないことを最優先に動くようになった。みんなが「かわいい」と言うと、私も「かわいい」と言う。みんなが「むかつく」と言うと、私も「むかつく」と言う。「わかる」は、みんなに認めてもらう魔法の言葉だった。独りだと思われたくなかった私は、一生懸命何かを書くのに忙しい振りをしてみたり、移動に時間をかけてみたりした。

どうすれば私もみんなみたいになれるのかな。不正解の自分を、正解のみんなと同じにしなきゃ。

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わからない。いつの間にか、私の「かわいい」も「むかつく」も、どこか遠くへ置いてきてしまっていた。何が好きだったかな。何に腹を立てるんだったかな。私が私たる要素は、その時にも必ずあったはずだ。なんだか哲学くさくなってしまった。

合併前、母校ではこれでもかと言いうぐらいのびのびと過ごした。自然に囲まれ、少人数が故なのだろうか、個の主張が強く、私にとっては、主張することが当たり前の世界だった。自分を出して嫌われる、という経験をしたことがなかった。思い返すと、周りに合わせてあげようという気持ちがずいぶんと少なかったと思う。

小学生時代の経験から、人に合わせる癖がついた私は、いつしか周りに合わせること自体、自分のアイデンティティにしてしまっていた。高校生の頃あたりになると、自分が分からないことに対し、なんだか苦しいなあ、と、そう思うようになった。苦しい。変わりたい。そう願っていた。

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大学生で1人暮らしを始め、アルバイトも経験させてもらえるようになった。そこに、数か月前に働き始めた、同い年の男の子がいた。口数は少ないが、知らないことははっきりと「知らない」と言い、違うと思ったら「違う」と伝える。極めつけに好きにまっすぐで、進路にも意見にも迷いが無い。ブレる隙が見当たらない。自分を突き通す姿は、とても輝いて見えた。

ここで明言しておきたいのが、その人は周りに迷惑のかかる押し通しはしない、ということだ。私の憧れは、協調性が前提なのだ、きっと。そこが過去の私に足りなかった部分だから。協調性と個性のいい塩梅、というのをずっと探している気がする。その人は、私が理想とする塩梅を自分のものにしている人なのだ。

好きなタイプにも迷いが無かったその人。恋は終わったけれど、今も尊敬と憧れは消えない。その人は、私のロールモデルである。