去年単身移住したんだし、もうお互い、別の場所で別々の人生を送っているのだし、「もう、次にいこう」と思っていた。

◎          ◎

元彼と別れたのは、ちょうど1年前。仕事上、お互い東京で出会い、東京で暮らし、デートも東京で重ねた。そもそも私も彼も東京で生まれ育ち、東京で進学、当たり前のように東京の大企業に就職し、なんとなくうまが合う、なんとなく家族構成や生い立ち、家庭の文化が似ているということから、自然に付き合うことになった。

私といえば、ずっと女子高育ちで、いわゆる明るくてくっきり二重の洋風な顔立ちということもあり、女子高時代はスクールカーストで困ることもなければ、はじめての共学だった大学時代も、恋愛系の誘いがなかったわけではない。大学時代は、夏季休暇のドライブデートなど普通だったら嬉しいはずの誘いも、なぜか気乗りせず、集団の中でもどこか境界線を引いて生きていた。「今日クリスマスイヴだよ。なんで彼氏いないの?」は、この日に限らず多方面で聞かれる常套句のようなものだった。

そんな私も、志望していた第一希望の就職先で社会人になると、さすがに性も価値観も変わった。今後もあと何十年もこの労働が続く....。誰かと一緒になりたい。女性として、いい加減肩肘張らず、胸をなでおろしたい。日常の多くを犠牲にしてまで、自分一人のためにこんなに給与を手にしても虚しい...。そんな考えても仕方のないようなフレーズが、商談で虎ノ門を去るとき、英語が飛び交うオフィスで一人PCを打っているとき、六本木でクライアントの接待が終わって一人になった時、ふと、心の隙間を埋めつくすようによぎるようになった。「今の私は、誰かと豊かな時間を過ごしたい...。」

◎          ◎

そんな時、15年来の友人からの紹介で、彼と出会うことになった。出会うまで知らなかったが、初対面でも会話が弾み、互いについて聴くうち、これまでの生い立ちや家族構成、家庭の教育方針など生まれ育った文化が自分とそっくりで意気投合した。その日から、彼とは約2年間、交際の月日が流れていった。

彼は、いわゆる「成功」にむけ一生懸命自分の人生を送っている人で、深夜まで働く仕事人間。その先には勿論私の姿もきちんといた。一方の私は、成果主義だが家族と仕事と自身の趣味や交友関係も平等に成立させる欧州文化の会社にいたため、ライフスタイルや仕事と家族に対する価値観がどうしても彼とは違っていた。年月が過ぎ去るにつれ、彼は昇進して更に忙しくなり、それがいつしか二人の間の心の隔たりとなって、ついに別れることになった。

◎          ◎

あれから1年。私は転職して地方移住をし、初めての冬を迎えようとしている頃。なんとなくFacebookに流れた東京を行き来する現職の同僚の地方での仕事に関する投稿に、なぜか彼が「超いいね!」をしているのを見つけた。付き合ってた頃はSNSなんてめったに触らない、元々東京生まれで競争社会で秀でることしか目にない彼が、まさか「地方」について関心を寄せるはずもなければ、いまの私の現職の同僚とも接点があるはずもない。なのに、なぜ?と気になってしまう自分がいた。

私はもう転職して東京を離れたのだし、移住先で新たな自分らしい人生を生き始めようと思っていたのに、どうしても思わずにはいられない自分がいた。今、あの彼は東京でどんな姿でどんなことを考え、誰とどんな人生を送っているのだろう。1000km離れたこの地で、私もまた頑張ろうと思った。