「私には取り柄がない」そう決定的に感じたのは彼と付き合ったから
この記事では、DVをテーマに扱っています。激しい描写はないように努めましたが、サバイバーの方はスキップされたほうが良い可能性があります。あらかじめご了承ください。
この記事では、DVをテーマに扱っています。激しい描写はないように努めましたが、サバイバーの方はスキップされたほうが良い可能性があります。あらかじめご了承ください。
「りぷには俺しかいないから」
彼はよくそう言った。
彼の前では、彼の求める私でいないといけなかった。
その頃の呪いは今も私を苦しめる時がある。
幼い時から、私はダメな人間だったと思う。
2つ離れた姉は勉強もそこそこできたし一緒に習った習字もピアノも水泳もきちんとものにした。
対して私は、平泳ぎで溺れかける。ピアノは音符すら読めない。習字はいつも賞に入れない。勉強もできない。
その代わり、いつも笑顔でいた。
楽しくなくとも求められる限り笑った。
私なりに頑張ってはみたものの、やはり人から称賛されるようなことは何一つない。本当に取り柄のない人間だと思う。
必死に身につけた「愛想の良さ」は私にとって唯一、人から褒められるものだったけれど彼は「何笑ってるんだよ。何もできないくせに」とよく言った。
その彼とは高校の同級生だったけれど、高校時代はあまり話したことがない。
「怖い」と思っていた当時の私の野生の勘を信じていればトラウマにならなかったかもしれない。
思えば、求められることに応えなければと思うのにできないことばかりだった。
料理、洗濯、掃除、お風呂を掃除し溜めること。生活に関わる些細なことですらも。
母はすごいと思った。手早くしてくれていたこと。話を聞きながらこなすこと。
私は上手くできなかった。
当時していたタクシーの配車をする、コールセンターでのアルバイト。
大学が終わってから終電ギリギリの23時30分まで。
仕事が終わると慌てて電車とバスに揺られて彼の家にいく。
部屋の掃除、洗濯、料理、お風呂とトイレなど水回りの掃除。
そこまでやってようやく認められるか認められないか。
生理の時など、本当にきつくてどうにもできない時に途中でできなくなった時や、彼の求めるクオリティーでない時は髪を引っ張り回されて首を絞められ、
「何でできないんだよ」
「俺はお前じゃなくてもいいんだよ」と2時間以上なじられ続ける。
「ごめんなさい」と謝れば「どうすればできたのか」と問われる。
私にもわからない。
考えた末に「体調悪い日は自分の家に帰るよ」と言ったら「お前は俺の家の家事をしなくちゃいけない」といわれた。
彼との半同棲のような暮らしの中で私は顔やお腹を殴られたり蹴られたりするから
違和感を口にしなくなった。
その頃には、私が異性の友達と話すのも許されなくなって、ラインも見つけ次第勝手にロックを解除して消された。
女友達ですら、会おうとすれば嫌な顔をされて「俺の悪口言うんだろ」とか言われたりした。
曽祖母の葬式でバタバタして連絡出来なかった時も「浮気してるだろう」とか言われた。
ご飯も美味しく無くなってあまり食べられなくなった。
体はみるみる痩せた。背骨がわかりやすく出てしまうぐらいには。
それでも、頑張っていたのは誰かからちゃんと認められたかったから。
一度、彼の家で傷んだおかずを気づかず食べて戻したりした時、彼は「家汚さないでね」と冷たく言い放ちそのままバイトへ出かけていった。
大事にしていたはずの何かが崩れ落ちた瞬間だった。
彼が骨折して入院した時、私にはバイトも授業も休ませて着替えを持ってくるよういったのにね。
結局、タクシーを呼んで一人で病院に行った。
病院で先生から「救急車よんでよかったんだよ」と言われた。
病院についてから私は車椅子に乗せられ、ベッドに寝かされ、すぐに点滴を受けた。
それから、理由は些細だったけれど大喧嘩したとき、もう帰らない決意をして彼の家を出た。
脳内にはなぜだか「およげ!たいやきくん」が流れていた。
数日前の喧嘩でボコボコに殴られお腹や足やあちこちを殴ったり蹴られたし、その時、
うっかり噛んだ口の中の傷跡も痛かった。あちこち痛かった。体も心も。
彼と付き合った2年間で私はいろんな感情をなくした。
自己肯定感、自尊心、自信。
もとより僅かだったはずのそんな感情を。
逃げ出してからしばらくは、私の家に何時間も待ち伏せされたりして、それを庇ってくれた姉や友人など周りにもずいぶん迷惑をかけた。
だけど、逃げ出してよかったと思う。
「お前なんかになれるわけない」と言われて諦めかけていた夢を1年だけだけど叶えた。
自信はまだない。自己肯定感もない。
もうすぐ30になるのに、笑うことしかできないし、笑うと大抵怒られ殴られていたから、
落ち込んだりすると無表情になるオプションも追加された。
彼の言うように私は何にもできないままなんだろう。
それでも、たぶん、きっと生きていてよかったんだと思う。
今はまだ不確かな生きている理由を肯定するために生きてみようと思っている。
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