「髪型変えたら、世界がガラリと変わる
なんて言葉を今までテレビとかで散々聞いてきたが、実際のところガラリと変わるのは髪型だけである。最初は本人とその周りの雰囲気がほんの少しだけ明るくなるが、やがて数日すればみんな慣れて元の世界に戻るのが世の常である。

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文明開化で男性の髪型がちょんまげからざんぎり頭に変わった明治時代はリアルに「髪型変えたら、世界がガラリと変わ」っていたので(世界が変わっていったので髪型も変えざるを得なかったとも言える)、今後そのくらいの歴史的変革が起こらない限り、髪の毛切っただけでは世界は変わらない。
そのようなことをダラダラ話す私は、皆さんお察しの通り、お洒落には無頓着である。髪の毛を染めたいとか、流行りの髪型に切りたいとかなんてこれっぽっちも思ったことがない。ボサボサに伸びた髪の毛を黒のヘアゴムで纏めただけの汚いポニーテールで大学生活を過ごしていた。「綺麗なストレートなんだから、ちゃんと手入れしなさいよ」なんて言われていたが、そんなことしたってどうせモテないから意味はないだろう。お金の無駄である。
お洒落には無頓着だから、当然美容室にも滅多に行かない。バイト先の可愛い高校生は「今度前髪切りに行くー」なんて上機嫌で話しながらスマホ見て前髪いじってたが、前髪数センチ切るだけの為に美容院まで行くのか…と若干引いてしまった。
この文を読んでいる紳士淑女はこれらの思想や行動に唖然としているだろう。ましてや怒りや悲しみさえ通り越して無の境地に至っていることもあるだろう。それで良い。実際この文を書いている私も、一度読み返して己の怠慢さに若干引いている。

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そんな私が、人生で初めて自分で美容室を予約して、髪の毛を切った。今日はその話をしたいと思う。前置きが長くなって申し訳ない。

時は2020年の冬。私は成人式に出席する為に実家に帰省していた。
本当は行きたくなかったが、どうしても晴れ着姿を見たいという両親の熱量に負けて渋々参加することになった。着物は既にレンタルのセットを用意し、美容室も予約済みであった。熱量がものすごいあまりに用意周到であった。
成人式当日朝に支度をして写真撮影。昼から会場入りし、式を迎えた。地元はDQNしかいないようなクソ田舎である為、会場内の治安はあまりよろしくなかった。友達に会えたのは良かったが、やっぱり行くんじゃなかったという思いが強かった。

式が終わった後、そそくさと家に帰って着物を脱いだ。ガッチガチに固められた髪からピンを抜いている時、ふと思った。
「なんか、バッサリ切りたいな」

成人式で久しぶりに会った友人や、周りのDQNたちは、数年前の面影とは全く異なっていた。ある人はむちゃくちゃ顔が可愛くなり、またある人は立派な社会人になっていた。かえって自分は何も変わっていない。竜宮城から帰った浦島太郎のような状態である。
この何とも言い難いムカムカとした気持ちが溜まりに溜まった結果、先述の「バッサリ切りたい」という願望に至った。
しかし、ただ切って貰うのは勿体無い。せっかくこんなに(背中に届くくらい)長く伸びているのだから、伸ばし甲斐があったと思いたい…。

…そうだ…「ヘアドネーション」をしよう。

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ヘアドネーションとは、ご存知の通り、髪の毛を寄付することである。寄付された髪の毛はかつらの一部となり、病気で髪の毛を失った人たちに届けられる。
取り組んでいる美容室は少ないが、たまたま下宿先の近くにあったので、すぐに予約をした。

当日、私は一抹の不安を抱えていた。何故なら、その美容院はとてもお洒落だったからだ。優しそうなおしどり夫婦が経営しているような街の小さな美容室だったら楽な気持ちで当日を迎えていただろうが、予約したところはその正反対に位置する、都会のイケイケ美容室であったのだ。方言が抜けきれていない田舎者丸出しの私は門前払いされるのだろうか…私は意を決して中に入った。

「いらっしゃいませ〜」
「〇〇時に予約した〇〇です」
「はい、ありがとうございます〜」
といったような会話の後、私は奥に案内された。どうやら受け入れられたようだ。

ヘアドネーションは通常の散髪とは異なり、まず切る前に髪の長さを測る。31センチ以上無いと寄付が出来ない。
次に髪を数本の束に分ける。毛量や状態によって束の数は異なるが、大体5〜6本程だろう。
そして、切る。
ここで、この文を読んでいる諸賢に思い出して欲しいのだが、長い前置きの後で私は「人生で初めて自分で美容室を予約して、髪の毛を切った」と書いている。
いや切るのは美容師だから正確には「切ってもらった」が正しいのではないか?と思うだろう。しかし、私は、髪の毛を「切った」のだ。

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「切ってみますか?」
「え?」
美容師のお姉さんがハサミを渡してくれた。
「束ねてあるゴムの上を切ってください」
私は恐る恐る切ってみた。束ねられた髪の毛は、まるで切られまいと強い意思を持っているかのように固かった。私はハサミを持つ手に力を込めた。

ジョキン。

切れた。
手元には馬の尻尾のような髪の毛がある。
私が初めて自分の髪の毛を自分で切った瞬間であった。
感慨深すぎるあまり、叫びたくなった。

その後お姉さんの手によって長い髪の束は回収され、私は可愛いボブヘアーになった。
「この髪の毛は大切に届けさせて頂きます」
私は自分が誇らしくなった。私のボサボサの髪の毛も誰かの役に立つのかと思うと、少しだけ前向きな気持ちになった。
お会計の後、お姉さんは外まで見送ってくれた。私はこのまま都会の真ん中をルンルン気分で歩きたくなった。

この経験からまず言えるのは、髪の毛を切っただけでは世界はガラリとまでは変わらないが、ほんの少しなら変えられるということである。