美容整形についての考え方は多様であるから、何を言っても批判される気がするし、誰かを悲しませてしまう気がして、このエッセイを書くか悩んでいた。しかし、私なりに美容整形に対する思いというのはずっとあって、フォロワー12人の過疎ツイッターに呟くよりは読んでもらえるかもしれないと思って、エッセイを書いてみる。

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美容整形に対して、嫌悪感を示す人はいる。私が小学生の時、美容整形は批判の対象であったと記憶している。明らかに整形したようだが「していない」と宣言する芸能人も多かったような気がする。今は比較的カミングアウトしやすく、私の周りでも二重整形したとか、たれ目整形したという人が周りにも多かった。

私は一重瞼の持ち主である。二重への憧れ、というのは確かにあった。小学生の時にクラスメイトから「二重になったらかわいいと思う」と言われてから、自分は一重だから可愛くないのか、となんとなく考えていた。その思いが強くなったのはちょうどコロナで外出自粛になったころだった。朝、顔を洗って自分の顔を見たときになんて不細工なのかと驚愕した。多分、運動不足やストレスによってむくんでいたのだと思う。しかし、一度思ってしまったら止まらない。母親にばれないように、アイプチシールを買ってきて二重にしようとするがうまくいかない。シールだから駄目なのだと二重のりを買うためにまた出かけた。確かに二重にすることはできたが、次は目の大きさのアンバランスさに腹が立ち始めた。“整形”この二文字が私の中に浮かんだ。

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整形について調べ始め、まず、問題となったのは、お金が足りない。私の高校はバイト禁止であったので自分で稼ぐことはできない。お年玉や毎月のお小遣いでは厳しい。となると、親を説得する必要がある。しかし、親には内緒にしておきたい…、いつかばれたとしても触れてほしくないと思った。そして、もし整形をしたら、この秘密を一生抱えたまま生きていくのか、と。整形をしても、人は変わらない。今までの人生は変わらない。家族も友人も卒業アルバムの写真も変わらない。私は、整形をした後に自分が整形したのだ、という事実を大っぴらにできるほど心の余裕はない。きっと、「生まれたときからこの顔でしたが?」というスタンスでいながら心の奥底で「実は整形したんだよな」という事実に蓋をすることになる。

私は結局、整形はしなかった。だから、整形するべきだとも整形すべきでない言える立場ではないと思う。だから、あくまで私の考えだとして。整形したことを秘密にしたいと思うくらいならやめた方がいい。整形したことで誰かのことを嫌いになるくらいならやめた方がいい。整形で、未来は変わる。それは、よくも、悪くも。自分に自信が持てるようになる、という未来とともに、整形した事実を隠そうと誰かに嘘をつく可能性もある。整形に対する言葉に過剰に反応し、誰かを嫌う未来があるかもしれない。それでも整形したいならしたらよい。整形では過去は変わらない、自分自身は変わらない。どの未来にだって後悔はあると思うから、真剣に可能性を考える必要がある。