私の顔にはホクロがある。大きな盛り上がったホクロが鼻筋に1つと、顎に1つ。その他にも小さなものがちらほらと。このホクロが気になり出したのは何歳の時だっただろう。兄弟にはホクロが1つもないことに気がついた小学生の時か、化粧をし始めた大学生の時か、たくさんの人と顔を合わせる営業の仕事を始めた社会人の時か。気がついたら私は顔の目立つ部分にあるこの盛り上がった大きなホクロのことが大嫌いになっていた。

前向きに捉えている人が羨ましくて。私のホクロは隠したい存在だった

「目元の泣きボクロがチャームポイント」「口元のさりげないホクロがセクシー」と、ホクロを前向きに捉えている人が羨ましかった。私のホクロはチャームポイントどころか隠したい存在だった。化粧するときに鏡を見るのが嫌だった。自分が写った写真を見るのが嫌だった。ホクロのない友人の顔を見るのが嫌だった。顔をじっと見て話してくる人のことが怖かった。周りの人はこのホクロをどう思っているんだろう、なんで私の顔にはこんなものが付いているんだろうなんて、考えてもどうにもならないことで落ち込んでいた。

幸い、私は今までホクロのことを表立ってからかわれたことはなかった。自分で勝手にコンプレックスに思い、勝手に落ち込んでいただけだった。そんなある時、とあるYouTuberの動画に出会った。そのYouTuberは顔に目立つホクロがあるのだが、「ホクロが気持ち悪い」「ホクロ取らないの?」と言うコメント欄。このコメント欄を見た私は、「ああやっぱりホクロは否定されるものなんだ」と衝撃を受けた。今まで直接言われた事がなかったのは運が良かっただけで、私の盛り上がった大きなホクロを気持ち悪いと思ってる人はきっといる。そんな思いで胸が苦しくなった。

どう思うかは私の勝手。嫌いなところがあってもいいじゃないか

それと同時に、なぜ他人にそんなことを言われないといけないのかという怒りを覚えた。正直、私が自分のホクロをコンプレックスに思い、落ち込む事は私の勝手だ。ただ、他人に気持ち悪いだの手術で取れだの言われる筋合いは無い。私は自分に直接言われたコメントでは無いのにも関わらず、無性に腹が立って仕方がなかった。そしてその時に「私のホクロのことをどうこう思っていいのは私だけだ」という思いが芽生えた。

それから、他人にこのホクロがどう思われているのかということが以前よりは気にならなくなった。ある意味で開き直りなのかもしれない。「このホクロは私のもの。どう思うかは私の勝手。他人がどうこう言うことじゃない」そんな風に思った。すると、これまで何を悩んで怖がっていたのかと馬鹿らしくなった。私の体は私のものなのだ。誰にも何も言わせない。それだけの話だった。

正直今でもこのホクロのことは好きにはなれない。ただ、そう思うのも私の勝手。自分の体の中で嫌いなところがあってもいいじゃないか。嫌いなところも含めて自分なのだから。そう思えたらこっちの勝ちだ。そんな気持ちでこれからも私はこのホクロのある自分の顔と付き合っていく。