大学3年生の春、二重まぶたの整形を行った。小心者だった私に勇気をくれたのはYouTuberだった。

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自分の容姿に自信が持てなくなったのはいつからだろう。小学生低学年の頃は、山ばっかりの田舎で顔なんか気にせず生きてきた。高学年になり、実家のある田舎より少しだけ都会に転校した。そこでは、みんな服や髪型にこだわりをもった子たちが沢山いた。

そんな状況に緊張した私にみんな優しく声をかけてくれた。ある日、私がトイレの個室にいると名指しで「ブスが調子乗るな」と陰で言われていることを知ってしまった。

転校生が珍しいから気を遣って話しかけてくれるのは分かっているし、調子に乗っていたわけではないのに、と悲しくなった。母に相談すると、「あんたは顔と性格があってないから言われても仕方ない。言われるのが嫌ならもっと大人しくしたら」と言われてしまった。

そうか、私は明るい性格だったのだが、ブスは大人しく地味に暮らさなきゃいけないのかと思った。そこから自分の見た目を気にすれば気にするほど性格は暗くなっていった。

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中学生では不登校になり、高校は誰も自分を知らないであろう高校に入った。高校では、アイプチをして通学するのが当たり前になっていた。高校時代は彼氏もできたが、メイクが崩れるのを恐れ、たびたびトイレに行って直したり、泊まりは断ったりで長くは続かなかった。

高校での日々で明るさを取り戻した私は、大学生になると憧れのバイト先で働き始めた。バイト先はとても楽しく、週5ぐらいで働いた。

バイト先では汗をかいてしまうし、アイプチを頻繁に直せないので、日中はアイプチとつけまのりで超強力な二重をつくっていたし、SNSで夜アイプチをしながら寝ると二重のクセがつくとみたのでそれをしていた。どちらが悪かったのか、分からない。

ある朝、目が開かないくらいまぶたが赤くカサカサに腫れていた。幸い春休み期間でシフトは週で出すバイト先だったので、しばらく休むことにした。

お母さんに相談すると「(整形)していいよ」あっさりと言われて拍子抜けした。

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中学生時代、容姿で悩んでいる時も、整形したら?と言われたことがあった。

続けて母は、「兄弟であんただけ、二重じゃなくて可哀想。成長したら二重になると思ったんだけどね。バイト代溜めてるんでしょ」と言い放った。

すぐには実行するにしても、整形は怖いイメージがあったから、たくさん調べてた。そして、あるYouTuberに出会った。

彼女は整形を全面的に公表していて、漫画やドラマで観るような内容とは違う整形について語っていた。物語のなかでは整形は美少女に大変身する魔法のように描かれている。「整形では、そんなに変わらない」彼女のそんな言葉に衝撃を受けた。

私は自分自身の顔は嫌いだけど愛着はあった。だから、整形をしたら自分のアイデンティティを否定してしまうようで、怖かった。YouTuberの言葉をきいて、一番納得できる所で、一番嫌いな箇所だけしようと思った。

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いざ、手術の日になると、一度整形をしたら当時のメディアが言うように整形依存になってしまいそうで、怖かった。カウンセリングの紙を提出してナースさんに最後に何か質問ある?と優しく聞かれて「整形依存になったらどうしよう」と言って困った顔をされた記憶がある。

手術を終え、迎えに来てくれる母を待った。全切開法といって切って縫う方法で二重まぶたにした為、ガーゼをしてても腫れが分かるわたしの顔を見て「それ、大丈夫なの」と言いながらも、家まで送ってくれた。

春休みが終わり、普段アイプチしてたからバレないかと思っていた。目を瞑っても少しだけ線になる程度だったのだが、汗かいても目を擦ってもとれたりしないし、仲のいい友達は何も言わなかったが、バレていたと思う。

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ある日、サークルの女の子に「もしかして(整形)した?」と聞かれた。否定しても噂されるだろうし、好きなYouTuberを思い出してうんとだけ言った。「いくらしたの(笑)」と言われて、なんだかもう話す気がなくなってその後はどんな会話したか覚えてない。悲しかったからじゃなくて「嫌味言われちゃった」くらいにしか思わなかった。

その時の私は、自分に自信が持てるくらい綺麗な二重にしてもらえたことが、嬉しかったし、その子は可愛いけれど、嫌味を言ってる時の顔は可愛くなかったし、今まで自信を失っていたけれど、本来どんな外見でも下向かなくていい、自信をもっていい、嫌味を言われたら無視すればって思えた瞬間でもあった。

しばらくして、昔からの友達の紹介で今の旦那さんと結婚することになった。付き合う前に、母から「振られるかもよ、鼻は(整形)しないの?」と聞かれた。私は「そう?少しくらいブスな(私を残した)方がいいの」と言った。これが私なりのコンプレックスと少し意地悪な母との向き合い方だ。