先日、渋谷駅構内で突然声をかけられた。土曜日の23時過ぎである。
「すみません、お姉さん!かわいくて思わず声かけちゃいました」
結構恐ろしい時間帯だが、ナンパか?とは1ミリも思わなかった。声をかけてきたその人は女性で、何故かとても切羽詰まったような表情と声色だったのだ。

「私、ここで働いてて」
名刺を渡されて、納得する。店の名前は知らなかったが、アルファベットで表記された店名と裏面には"cut ¥0"と記載されていた。
「カットモデルとかって興味無いですか?」

言葉の一音一音に焦りが垣間見えるのは勘違いではなかったと思う。後々調べてわかったことだが、美容室に就職したからと言ってすぐに即戦力として働けるわけではないらしい。アシスタントをしつつ、カットモデルさんの髪で技術を磨き、各美容室の試験に合格して初めて認められるというのだ。

美容業界とまったく縁のなかった私は、もちろん声をかけられたその瞬間もそんな事情があるとは露知らず、お姉さんの焦り具合に終始圧倒されてしまった。ついでに言うと、果たして本当にカットモデル探しなのかも疑ってしまっていた。

地方出身の私はカットモデルとして声をかけられたのが初めてで、もしかしたら何か変な勧誘だったり客引きなのではないかと疑心暗鬼になっていたのだ。
「インスタとかって交換できたりしますか?」
「…あ、いやー…、私今のところ髪切る予定なくて…」

嘘である。本当は近々髪を切る予定だった。
「一旦検討しますね!」
そう言ってそそくさと逃げてきてしまった。

◎          ◎

家に帰ってすぐに店の名前を検索した。その店は本当に表参道に存在し、お姉さんのインスタのアカウントもたくさんのカットモデルでいっぱいだった。どうやら嘘ではなさそうだと判断し、一日考えてインスタでDMを送った。

それから二週間後、初めてのカットモデルに行ってきたのである。タダで髪が切れる(しかも表参道のオシャレな美容室で)のは得をした気分だ。
カットモデルというのはお店の営業時間を避けて、朝早くか夜遅くに行うらしい。私も21時頃に伺ったが、店内にお客さんはおらず、数名のスタッフが掃除をしていた。

お姉さんに出迎えられ、椅子に座る。私の後ろで若い女性2人がマネキンの髪の毛を染める作業をしていて、隣では先輩スタッフがタイマーを持って見守っていた。私は髪のオーダーをして切られつつ、練習をしているそちらが気になった。美容業界に縁もゆかりも無いからこそ、裏側の世界が新鮮に思えたのだ。タイマーが鳴ると1人は手を止め、もう1人はまだ終わらないのかクリームらしきものをまだ髪に塗布させていた。

少しだけ注意されている。どうやら失敗したらしい。専門的な仕事をしていない私にとって、何かに特化した指示は学生時代の部活に忘れ去られていたものだ。それでもめげずにまだマネキンへと向き直る女性の姿に感動に似た気持ちが沸いた。

◎          ◎

お店を出るときにお姉さんに初対面のときのことを謝った。必死で夢を追いかけての行動に不安を抱いてしまったことを。
「私の方こそありがとうございました。また来てください」
そう言って笑った彼女に、次はちゃんと予約をして、お金を払って髪を切ってもらいたいと思う。