私は4年前の秋から、髪をブリーチして明るい色の頭髪を保っている。ブリーチ回数は、2ヶ月に1回の計算でも、通算24回していることになる。黒髪でないと通用しない場面に遭遇しても、私はハイトーンヘアをやめられない。

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髪の毛を明るくしよう思ったきっかけは、4年前に行ったパリ旅行。現地の人と会話するうちに、自分のやりたいことに素直に取り組んでいる同行者と話すうちに、ガチガチだった私の心の殻にヒビが入っていった。将来やりたいことがわからない、という私に、同行した友人が私に言った。「今、目の前のやりたいことをちゃんと実行すれば、やりたいことが見つかっていくよ」と。どんなに小さなことでも、あれ食べたい、どこに行きたい、という、毎日持つような欲求を見逃さないこと。その時、前からやってみたいけれど、一歩踏み出せずにいたことに向き合うことを決めた。それが、髪を明るくすることだった。洋画を見るのが好きな私は、海外の女優さんの、お人形さんみたいなブロンドに憧れていた。黒髪か茶髪でないといけないアルバイトの心配はよそに、私の心はもう、ブロンドに染まっていた。

帰国後、私は原宿の美容院の椅子に座っていた。看板も店の壁もピンクの、ポップなお店だった。その前まで通っていた美容院で、ハイトーンにしたいと相談したら、髪質に合わないとか、服との合わせが難しくなるなどと言われていたから不安もあったけれど、ずっとやってみたかったからドキドキしてブリーチ剤の痛みを堪えた…この日から、私はずっとハイトーンヘアー。初めて就活で企業説明会に参加したときも、面接に行ったときも、ハイトーンヘアー。

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私は明るい地毛の上に、黒髪のウィッグを被って、オンライン中心に説明会や面接に臨んでいた。でも、1度だけ、自分で黒染めしたことがある。就活中、対面面接のとき、ウィッグはバレてしまうのが怖くて、染めたのだった。その面接は上手くいったのだが、「黒」という社会的に求められている色でいることに、すぐに耐えられなくなった。呼吸がしにくくなった。2週間ほどしてグレーに色落ちしてきた頃、私は再び黒を入れることはせず、ブリーチしてピンクに染めた。志望企業の、最終面接の前日だった。

その後、ピンクの髪の上に黒髪のウィッグで面接に挑んだ企業に入社し、仕事中はウィッグをかぶって過ごした。会社の誰も、私が髪を明るく染めていることは知らない。最初のうちは、バレないかどうかハラハラしたくらいだったけれど、だんだんと、信頼関係を築こうとしほている相手に、隠し事をしていることがしんどくなっていった。何でも相談してと言ってくれる人たちに心を開けないのが、辛くなっていった。普段から人にあれこれ打ち明けるタイプではないけれど、同じチームで仕事をしている人たちに、情が湧いてきた。ドライに割り切るのが難しくて、普段の姿を知って欲しいという気持ちも芽生えてきた。騙しているようで、気落ちしていった。

私は結局、その企業を1年で辞め、明るい髪色を受け入れてくれる職場に身を移した。私はハイトーンをやめられない。私は、黒髪に生まれたが、金髪やピンクの髪で生きることを望むのだ。今、隠すことなく毎日好きな髪色でいられて、幸せだ。

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なぜ私は、前の会社で、誰にも打ち明けなかったのだろう。髪を染めることは全く悪いことだとは思っていないが、それを秘密にさせるようなおそれが、自分自身の中にあった。打ち明けて、驚かれたり、異分子だと思われるのが恐かった。何より、怒られるのではないかと怯えた。別に言ってもいいかな、と思う同期や先輩もいたけれど、大きな、真ん丸い目をこちらに向けられるのを想像すると、自然と避ける選択をした。新しい価値観を提示して、受け入れてもらうときには、驚きがつきものなのに。私には、その勇気がなかった。

以前、明るい髪色や、ありのままの姿がもっと受け入れられる社会になれば良いのに、そして、私もそれに尽力したいと書いた。しかし、私は、既にその文化が根付いている安全な環境に移った。闘わなかった。前の会社の人たちに打ち明けて、いいじゃん、仕事には関係ないし、と受け入れてもらう未来もあっただろうか。こういう人もいるんだと、誰かの多様性の枠を、推し広げることができただろうか。

実際、今の時代、髪色で偏見を持つ人は少ない気がする。遅れているのは個々人の価値観ではなく、風潮と規則だ。人の気持ちと行動が変わっているなら、それらも変わっていけばいいのに、そうはならない。個々人の気持ちより、風潮を優先する場面は多い。私たちが社会に新しい価値観を馴染ませるために必要なのは、その態度の見直しからかもしれない。