今の私に夢はないのかもしれない。
いつからか、刹那的に物事を捉えるようになって、「夢」という未来のことを考えなくなってしまった。でも、もちろんそれは初めからではない。幼き頃の私は、確かに夢を持っていた。

いくつか前のエッセイ「最強デート記」で書いた幼少期の「シンデレラになりたい」もそう。小学生のときに思い描いた「教師になりたい」もそう、ただそこからずっと大した夢を持たずに「今が楽しければいい」と過ごしてきた。夢を持たない時間は気が楽で、どうしてもそれを続けてしまっていた。

「夢」は確かに、何かの原動力になる。
背中を押してくれるし、背筋を伸ばしてくれる。必死になってもかっこ悪くないし、頑張っていることがひどく伝わってくる。それでも私は、一度、夢を諦めてから随分長い間夢を持っていなかった。先ほども伝えたが、気が楽だったのだ。何かに流されているほうが性に合っているような気がしていたから。でも、大きな川に流され続けていると、ついには滝から落ちてしまうことも経験した。

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そこで私は改めて人生の指針に近い「夢」を持つことにした。
もしかすると一般的には、夢は探して持つものではなく、湧いて出てくるものなのかもしれないが、私には湧いて出てくるのを待っている時間はなかった。必死になって探して、そして見つけたのは「憧れの人のようになること」だった。

もっと具体的でもよかったかもしれない。でも、私がたどり着いた場所はここだった。
幼き頃に近いその夢は、私を確かに変えた。笑顔が増え、背筋を伸ばす意識をした。清潔感を保ち、ボディイメージも具体的になった。そしてなにより、言葉選びを慎重にするようになった。憧れの人たちはこぞって言葉選びが素敵だったから。やさしくて、あたたかく、時にはユーモアたっぷりで、愛される言葉を知っていたのだと思う。日本語を丁寧に取り扱うその人たちを私は尊敬という言葉で見つめた。

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だからだろうか、私は今日もこうやって文字を綴っている。
綺麗な日本語かはわからない。心地よいものかもわからない。けれど、確実に私の言葉で何かを綴りたいと思ったのは、憧れの人たちのおかげだった。また今日もパソコンの前で、なんとなく背筋を伸ばして、ゆっくりと言葉を選んでいく。これを繰り返していくと、日常生活で出てくる言葉も優しいものが増えたような気がする。最近仲良くしてもらっている人には、「万里ちゃんはいつも優しい言葉をくれるね」と言ってもらえる。

優しさだけでは、世界は回っていかないことはわかっている。それでも、世界で私くらいあたたかく、優しい言葉を繰り返しても許されないだろうか。たった一言、たった一人の言葉で世界は大きくは変わらない。戦争も終わらないし、争いも絶えない。マナーも浸透しないし、いじめもなくならない。でも、それでも、私は憧れの人たちのように、憧れの人たちに恥じないように、言葉を大切にして生きていきたいと心から思う。

そのおかげで、私の周りはだいたい平和だ。必死で探した「夢」という目標は、確かに私を変えた。そしてこれからも変わっていく、私だけではなくてもしかすると周囲の人も変わっていくのかもしれない。そんな日が来たら「夢」の力を強く信じてしまうかもしれない。