20歳になる少し前、わたしは腰まである長い髪を、30cmほど切り落とした。

ヘアドネーションをするためである。端的に言うと、事故や病気など、様々な事情で、髪を失った子どもたちに、ウィッグを提供しようというものだ。

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わたしの場合、そこに至るまでがなかなかに拗らせた。DV両親と、頑固娘が決別に至るまでの話である。また、DVの詳細は本筋と外れるため、ここでは書かないものとする。

子どもの頃、親の意向でずっとショートカットだった。子どもだから管理が難しいなど、いろいろな理由があるのだと思うが、本当のところはわからない。ただ、長い髪がいいと泣きながら懇願するわたしに、無理やりハサミを入れたことは、未だに心の傷になっている。

中学生になって抗った。親になんと言われようと、頑なに伸ばし続けた髪は、胸まで長くなった。その髪を毎日大切そうにとかし、編み込みやお下げなど、いろいろな髪型にして楽しんだ。長い髪は思春期のわたしにとってお守りであった。

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決して順風満帆とはいかないが、友人にも恵まれ、それなりに平凡な高校生活を過ごした。勉強に部活にプリクラにと高校生活を謳歌する中で、家にいることも減った。友人と話すことで、自分と違う価値観に触れ、自分の家庭環境の異常さに気づいていった。それと同時に親はわたしに対する干渉を減らした。それでも癒えることはなかったが、長く続いた暴力が止んだため、救われたような気持ちだった。

浪人生の頃、長い髪を管理する暇もなく勉強に追われていた。おへそまで伸びた髪を1つにくくり、ひたすらに参考書とにらめっこする中でふと。

わたしはもうこの長い髪に守ってもらわなくても大丈夫だと思った。

この髪はわたしにとって、反抗の象徴であった。言い換えれば、初めて自分の意志を通した結果が、この長い、黒々とした髪であった。

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少しずつとはいえ、親との確執が癒え、自分が思い描いていた高校生活が送れたのであれば、もう髪に守ってもらう必要がない。

そしてせっかく切るのであれば、誰かの役に立ってほしい。

浪人生活が終わり、大学生活にも少しずつ慣れた頃、美容院を予約し、念願叶ってヘアドネーションをした。ついでに染めた。切りたての髪を触り、なんだか無敵なように思えた。

髪型を変えただけで、わたし自身は何も変わっていない。彼氏ができたわけでも、バイトで活躍したわけでも、友達が増えたわけでも、何でもない。

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それでも、セミロングの長さの、ピンクブラウンの髪の毛は、わたしに自信をくれた。自己満足に過ぎないことは、自分が1番知っている。だけど、それでもわたしがやったことは、無駄ではないのだと。

わたしは今、保育士をしている。あれだけ大切にしていた髪を労る時間もないほど慌ただしい環境の中で、自分の髪よりも大切な子どもたちと、毎日走り回っている。

あの時、髪型を変えたこと、自分の意思で伸ばして切ったこと、それは今もわたしの、何よりの自信である。