「進学校と言われる高校を卒業したら当然大学に行くべきだ」
「正社員として会社で働くべきだ」
「職を転々とするのは恥ずべきことだ」

どこか前時代的かもしれないが、すべてかつての私が固定観念として抱いていたものだ。
ただ、これまでの自分の歩みを振り返ってみれば、まるでかけ離れたルートをたどっている。高校生の私が、フリーランスライターである今の私を見たら、一体どんな反応をするのだろう。

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上に挙げたような固定観念に縛られていた一方、また別のベクトルで、ひとつの想いを私は幼い頃から変わらずに持ち続けてきた。

“書くことで、生きていきたい。”

子どものときは、主に学校で将来の夢を書かされたり発表したりする機会が多々ある。私はその度に「小説家」と懲りずに記し続け、言い続けてきた。文章で表現することの面白さは、何歳になっても私を飽きさせることがなかった。周囲から白い目で見られても、嘲笑われることがあっても、書くことに対する想いは変わらなかった。

とはいえ、大人になった私の手を引いていったのは、マジョリティの塊みたいな固定観念のほうだった。

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書くことで生きるとはつまり、書くことでご飯を食べること。書くことを仕事にすることだ。想いに真摯に向き合おうとするのであれば、「書く」を自分の生業にするために、学校を卒業した後から行動し始めていただろう。けれども私はそれをやらなかった。

夢を見るのは誰でも自由にできるけれど、それを実現させるのは容易なことではない。そう思い、私は小説家の夢にそっと蓋をした。これまで通り、趣味の一環として自分のペースで続けられれば十分じゃないか。そこに、苦痛を伴うような我慢の気持ちはなかった。これで良かったんだ、これがきっと大人になるってことなんだ、と、静かに納得した。

また、私は長らく「小説家になりたい」と夢見てはいたけれど、「ライターになりたい」と考えたことはなかった。あくまで創作という行為に文章を乗せるのが好きなのであって、セールスであったり、PRなどが目的の商業用ライティングにはほとんど興味が湧かなかった。

そうして私は、書くこととは全く関係のない職に就いた。事務作業のほか、会社で作っている製品の在庫管理を行うのが主な私の仕事だった。小さな会社だったけれど、居心地は良かった。尊敬できる上司との出会いもあった。それでも、入社4年目で私は転職することを決めた。「他の世界を見てみたい」「視野を広げてみたい」と、あくまで当初は前向きな心持ちだった。

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ちょっとずつの歩みではありながらも、それまで築き上げてきたものは確かにあるはずだった。けれどもそれらは、ぼろぼろといとも簡単に崩れていった。気づいたら短期離職を繰り返すようになっていて、3社目の会社を辞める直前に適応障害と診断された。

診断書を受け取っても、私は特段驚かなかった。むしろ、心のどこかで安堵すらしていたのではないかと思う。

少しだけ時をさかのぼる。
「進学校と言われる高校を卒業したら当然大学に行くべきだ」と確かに私は思っていたし、進学校と言われる高校に実際通ってはいた。けれども、卒業はしていない。途中で不登校になり、通信制の高校に転学している。だから正確な母校は通信になるのだろう。

高校卒業後は、大学ではなく短大を進学先として選んだ。ただ短大時代も、かつての不登校期のようにキャンパスから逃げ続けた時期があった。

きっと自分は、周囲と何かがずれている。「普通」が何を指すのかは未だによく分からないけれど、自分はその「普通」には該当しないのだろうと思った。みんなにとっての当たり前が、自分はすごく難しく感じる。苦しくなるときもあれば、気力が一切湧かなくなるときもある。学生から社会人になったからといって、燻り続けてきた違和感がなくなるわけではない。それを目に見える形で提示してきたのが、例の診断書だった。

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離職期間を経て、その後しばらくはアルバイトで生計を立てた。徐々に心の元気を取り戻し、正規の仕事にまた就きたいと思うようになった。…いや、正確に言えば、きっとこれも固定観念による考えだったのだろう。いい年した大人がバイト生活をいつまでも続けるなんてきっと許されない、と。

職歴を汚しているかのような複数回の短期離職が先方の懸念点となり、正社員ではなく契約社員扱いにはなったものの、新規事業の展開に注力していたとある企業への就職が決まった。

この会社では、ライティング系の業務を振られる機会が多々あった。自社運営のサービスサイトやLP、メルマガ、プレスリリース、SNS用のキャプションなど、さまざまな場面で文章を書いてきた。

この時の経験が、ライターという仕事の奥深さや可能性に気づいたきっかけとなる。
しばらくして、パートナーの仕事の都合で引越しをしなければいけないことになり、私は退職を申し出た。

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ただ、転居はどちらかというと表向きの理由だ。本音の部分では、「書くことにもっと没頭してみたい」「自分の『個』としての力を試してみたい」という想いの方が大きかった。

フリーランスの世界に飛び込んで上手くいく根拠も、自信も、誇れるような実績もないに等しかった。ただ、ずっと消えることなく胸の中に在り続けた「書く」に対する熱量だけが、会社を辞めてから今に至るまで、この身体を衝動的に突き動かしてきたのだと思う。

きっと不器用で、要領の悪いやり方なのだろう。よくある注意喚起のように、「※よい子はまねしないでね」と言いたい気持ちだ。無駄な回り道をたくさんしてきたのかもしれない。でも、その回り道さえも、今の自分を形作るうえで必要な時間だったのかもしれない。そんな風にも思う。

気づいたらどこかにゆるゆると溶け出していた、固定観念の数々。

何が正解で何が不正解なのか、そんなことを追い求めるのはもうやめにした。

最初の姿から形は変えつつあるのかもしれないけれど、すべての発端は、やっぱり幼い頃に抱いた夢なのだろう。自分が思う以上に、どうやら強靭なパワーを放っているらしい。

ひとつ言えるのは、「夢に振り回される人生も、そう悪くはないかな」ということだ。