私の夢は「普通でいること」だった。

ずっとそうだった。私はこれまで、常識が作ったレールの上をしっかりと歩んできた。学力を競う進学校での、できるだけいい大学へ行くという風習とか。悪いことではないけれど、確実に私の視野を狭めた環境でもあったと思う。

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高校卒業後の進路は、就職・専門学校・大学進学など、多種多様なはずなのに、私の頭の中には「国公立大学進学」の一択だった。

理由は、就活で有利そうといった単純な思考回路によるものだったり。1番の理由は「周りのみんなが目指している」から。周りに合わせることがスタンダードだと思って生きてきた。

大学に進学して、3回生になれば、当たり前のように就活を始める。タイミングが来たし「エントリーシートどうする?」なんて会話が飛び交うから。気づいたら友達の髪色が暗くなって、私の茶髪が目立つなんてこともあったなあ。仕方なく、黒髪に戻した記憶もある。

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私はそうやって周りの行動をスタンダードとして「普通になること」を意識して生きてきた。もうこの考え方が普通ではないのだけど。

なので、学生時代や新卒2年目までは「普通でいること」が夢だった。そして順調に普通でいられた、新卒2年目までは。

普通でいられなくなったのは、違和感を感じ始めたのは、新卒で入社して1年が経ったころからだった。社会人2年目に突入し、身体と心に違和感を覚える。「そうじゃない」と自身の内側が訴える。それでも、内なる声・自身の主張を無視して「普通」でいた。

我慢の限界が来たのか、気づけば精神的に疲弊していた。精神科で処方してもらった薬に支えられながらも「こんなんで会社休んだら、変やん。迷惑かけるし、普通じゃないよね」ってまた言い聞かせて、日々を生き延びた。

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薬に支えられながらの生活が1年を経過したころ、とうとう限界が来てしまった。涙が溢れて耐えられない。とてもじゃないけど仕事にならない状況に困惑し、上司にはじめて不調に耐えながら働いていたことを伝えた。

「ゆっくり休んだほうがいいよ」

当時の私は思考回路さえもままならない状態だったので、休むことを受け入れられた。今までの自分なら「普通じゃない」と言いのけただろうに、無力な私は「はい」とうなずくことしかできなかった。

でも、これでよかったと思う。休職という選択をして社会から一旦距離を置くことで、はじめて私は「普通」という価値観から、呪縛から解き放たれたから。

周りの価値観からできあがった「普通」を疑い、自身の価値観で社会を見つめる。自分の心を深く内省する。私の心と社会との接点を探し「私は書くことが好きだ。書く仕事をしたい」と思った。初めて「夢」を描いた瞬間だったと思う。いや、夢じゃないかも。近い未来にそうなるんだと心に決めたんだ。

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「夢」を描いた瞬間から、自分でも信じられないくらい行動が加速する。未来に向かって突き進む自分、心がどんどん生き生きとしてくる。誰かが敷いたレールじゃない、自分でひとつずつレールを作り上げていく感覚。これが生きるってことなのかもしれない。

そして、月日が経ち、「ライターになってん」と、周りの人に胸を張って言えるようになった。夢を描いてから半年後のことだった。周りの顔色はどうだろう。「?」な表情の友達もいる。でも、応援してくれる人もたくさんいる。

初めて心からなりたいと思えた職業、ライター。私が思い描いた最初の「夢」だから、大切にしたい肩書きであり、私のアイデンティティである。会社員じゃない=普通じゃないかもしれないけど、私のスタンダードであるから問題ないのだ。

私の普通は私で作っていく。その第一歩の夢がライターだったんだ。