あれは確か小学生の頃だったと思う。何がきっかけでそうなったのか分からないが、私は父と将来の夢について話していた。近くに母と妹はおらず、父と2人っきりで話していた。今となってはその状況が珍しすぎるのだが、小学生の頃はよく父と話したり勉強を教えてもらったりしていた。

「それは、いつでもなれるよ」

私が当時の将来の夢を話したときに、父に言われた。割と本気で夢を叶えたいと思っていたのに、真っ向から否定されたようでかなりショックだった。

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当時の私の夢は作家。小さい頃から本が大好きで、想像するのも好きだった私は、いつからか自分で物語を考えるようになっていた。大抵の物語は自分をモデルにしたもので、本やテレビドラマからインスピレーションを得た設定もあった。本と言えるほどの量は書けなかったけれど、頭の中ではいつまでもストーリーが続いていく。もしや私には才能があるのではないかと思っていた。

しかし、遠回しに「他の夢を探せ」と言われて、作家になるという夢は諦めようと思った。それから数年が経ち、私は中学生になった。中学校に入学して、私は新たな夢に出会う。中学校の教員である。

今でも関係が続いている恩師との出会いが、私の人生を変えた。恩師は、一言で言えば、今まで出会ったことのないタイプの人だった。発せられる言葉がいちいち新鮮で、それまで私の中にあった考えはあっという間に崩され、次々に新しい種を蒔かれるような感じだった。とても熱血で、話が面白くて、1人1人のことをよく見ている、魅力的な恩師。関わっていくうちに自然と、教員という夢を持つようになった。

高校に進学しても夢は変わらず、たくさん勉強して教員免許が取れる大学に進んだ。専門の分野を学ぶことや教育について考えることは、未知な部分が多くて大変だった。周りと比べて自分が未熟だと気付いたのは、入学後すぐのことだ。

他の人と同等のレベルまで到達できない。意見も質問も、何も浮かんでこない。覚えなければいけないものが、なかなか覚えられない。おまけに、時間も心の余裕もない。「ないないづくし」の生活は、思い描いていたキャンパスライフには程遠いものだった。

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理想とかけ離れた生活の中で、ある日、ふと昔の夢を思い出した。実は少し、教員という夢への情熱が薄れてきてしまっていたのだ。だからといって他になりたい職業はなく、どうしたものかと思っていたとき、作家という夢が頭の片隅に浮かんできた。「いつでもなれる」という父の言葉を思い出し、物語を書いてみることにした。

とある出版社の新人賞を目指して、思いついたストーリーを繋げていく作業は、想像以上にきつかった。自分の語彙力や表現力の無さを痛感した。ストーリーのブレも目立つ。何度も何度も心が折れかけて、もう書くのをやめてしまおうかと思った。それでもなんとか言葉を捻り出して、規定の文字数を書き切った。

原稿を送って、結果を待つ日々に突入すると、結果なんてどうでも良くなるくらいの達成感でいっぱいになった。それくらい大きなことを成し遂げられと思った。最後まで書いたという事実だけで、なんだか自信を持てた。

結果は、一次審査で落選。「まぁそうだろうな」と「私には才能がなかったのかも」がごちゃ混ぜになって、ちゃんと落ち込んだ。そして、もう書くのはやめようと思った。

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そんな私が、今、エッセイを書いている。不思議なもので、何度離れても、やはり私は書くことが好きなんだと思う。それを自覚させてくれたのは、作家という夢である。夢があったからこそ、行動することができた。

叶う夢も叶わない夢もある。私は、夢は自分と向き合うことなしに生まれないと思っている。これからもいろんな夢を見て、行動して、自分を変えるきっかけを作っていきたい。