晩御飯を食べていると、小さな小さなグラスにビールを半分ほど入れて、「今日はたくさん飲むぞ!」と、母は言う。
そしてお決まり如くその100mlにも満たないビールを飲み切ることなく、「お母さん酔っちゃった〜」と、顔を真っ赤にして晩御飯を食べ切ることなく眠りにつく。
それが我が家の日常だった。

そしてそんな母と顔も性格も何もかもがそっくりな私は、「大人になったら気をつけよう。どうせ私もお酒に弱いのだ」、子どもながらにそう思っていた。

◎          ◎

そして念願叶って初めてお酒というものを口にする時、倒れてはいけないと母の真似をし、一番弱そうなお酒を一口だけ飲み込んだ。が、何も起こらない。
待てども待てども何も起こらない。
お酒ってもっと楽しくなったり、もっと熱くなったりそういうもんでしょ?
そう思うのに私の体には何の変化も訪れない。
忘れもしない期待を裏切られすぎた私のお酒デビュー。
そこからどんどん量を増やし、限界を試すも飲めども飲めども何の変化も訪れない。途中で多少の眠気に襲われるけれど、それを超えてしまえば平常運転だ。
そっくりな顔、短い手足、おまけに性格と、あれだけ強力なDNAの力を見せつけてきたというのに、なぜかお酒耐性だけは遺伝しなかったようだ。

お酒に強くて困ったことは沢山あった。
必然的にお世話係になり、みんなの情けない姿を沢山見てしまうこと。
ビールや日本酒を好むせいで可愛らしい女の子になれないこと。
気分転換に飲みに行ってもお酒の力では気分を転換させられないこと。
私だって死ぬほど飲んで酔い潰れて誰かに介抱されてみたい、可愛く「酔っちゃった」とか言ってみたい、お酒の力でストレス発散したい。

そう思うけれど出来ないものは出来ない。
年齢を重ねる毎にどうせ酔えないなら飲む必要もないという結論に至り、最近めっきり飲まなくなっていたのだけど、それでも唯一私のお酒の強さが人を幸せにする場面があるということに気づいた。

それは父との時間だ。

◎          ◎

母は話にならないほど弱い。
父に似たはずの姉もなぜか弱い。
そして唯一の息子ポジションの姉の旦那も弱い。
そうなると唯一飲める私と一緒にお酒を開ける瞬間が楽しいようで、実家に戻ってからは、父が飲みたい日はグラスを2つ置いて、父が飲みたいだけ飲み、余りを私が飲む。
そんな生活をしている。

時折「お父さん息子と飲むのが夢やってんな〜」と、お酒の勢いで本音を漏らしてくる父は、性別は違えど晩御飯を食べながら一緒にお酒を飲める相手がいることが楽しいらしい。
注がれれば注がれるだけ飲む私、グラスが開けばすぐ注いでくる父、わんこそばか?と聞きたくなるようなスタイルで飲む私達を見ながら、「私も混じりたいわ〜」という母。
ビール1本も飲み切らない母が相手では確かに一緒にお酒は飲めないだろう。
寡黙な父がお酒の力相まって少し楽しそうに飲んでいる姿を見ると、私のアルコール耐性もプラスに活用されていると感じ、少しだけ幸せな気分になる。