幼少期から私は両親が大好きだった。叱られることや喧嘩はあっても、すぐ仲直りした。私は両親に甘えており、今思うと少し依存だった。

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私は大学受験で志望校の2つの学科に合格し、両親が就職面や「イメージがいい」と勧めた一方の学科を蹴り、他方の学科に進学した。
どうしても学びたいことがあったので後悔はないが、期待を裏切った罪悪感は残った。
私の学科は入学後の勉強の厳しさで有名で、日々課題に追われた。しかし私は勧めを断った後ろめたさで、いくら勉強が大変でも親に弱音は吐けなかった。親は就活も不安視していたので、早くから就活対策を始めた。私にとって、親の言葉は絶対ではないにせよかなり大きなものだった。

コロナ真っ只中の2020年度入学の私は、大学生活も影響を受けた。
入った音楽系サークルの、12月の演奏会で私は運営の手伝いに行く予定だった。しかし直前になり母が、「ほら、東京すごくコロナ流行ってるのに、サークルで出かけるなんて…まあ○○(私)が決めることだけど…」と不安を口にした。
その演奏会は私も聴きたかったし、何より私が手伝うためのシフトを組んでもらっていたため、とても参加したかった。でもウイルスへの不安と医療者の母の立場も気兼ねし、私は責任者の先輩に何度も謝りドタキャンした。母は安心したようだった。
あとで、その先輩が私の抜けた穴を埋めるため自分のシフトをかなり増やしたと知った。今もそれを思い出すと胸が痛い。

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母に「3年間で単位を取り切ると1年間は就活に充てられるみたいね」と言われていたこともあり、脇目もふらず勉強し3年の末に卒業単位を満たした。4年の6月に第一志望から奇跡的に内定をもらい、学業も就活も結果を出して終え、私も両親もとても喜んだ。
だが就活中の自分が、ずっと両親の意向を気にしてきたことに気づいた。第一志望に内定し、キャリアセンターで他社への内定辞退について、他社に申し訳ない、と私が話した時のこと。相談員の方が、
「職業選択の自由は本人にのみあるから、気にしなくていい。親にすらその権利はないんだから」と言った。
内定をもらった時、親に伝えたラインには「第一志望の(企業名)の××職に内定をもらいました。就活辞めていいですか」という文面だった。いち早く返信した母にも、「じゃあお父さんがいいよって言ったら就活辞めるね」と私はラインした。
私の第一志望の内定先は、世間のイメージも悪くなく両親もとても喜んでくれた。でももし両親が快く思わない企業だったら、私はどうしただろう。

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就活中、多くの企業に落ちた。その時は希望が叶わなかった虚しさもあったが、「不甲斐なくて両親に申し訳ない」「早くいいとこに決めて親を喜ばせないと」と親のことを考えるともっと辛かった。私は親のために就活していたわけではないのに。

学業も就活も終えサークルもとっくに引退し時間ができた私は、卒業までの時間の使い方を考えたり体を休めたり、少しゆっくりした。
けれど親は私に、「早くバイト始めなさい」と勧めた。
社会勉強のため、というのが表立った理由だったが、親はこのまま私が家でのんびりしていたら、怠惰さに慣れるだろうと社会人生活が不安になったらしい。
もし私が単位落としてばかりで留年しかけていたら、親は私の成績がとても不安だっただろう。
もし私が全く内定を得られていなかったら、親は私の進路にキリキリしただろう。
けど学業や就活がきちんと終わっても、結局私が何をしても親は不安なのだ。

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バイトに慣れ始めた頃、私はコロナに感染した。初め母が感染し、翌日私にうつったのだ。
朝に母から「コロナになっちゃったの」と告げられショックを受け、私も自分の喉の焼け付くような痛みに気づいた。「きっと私も感染してるしバイト休むね」と言ったら医療者の母から自宅で抗原検査を受け、陰性だった。
「陰性なら、たとえ感染してても感染力ないから。もう5類だし濃厚接触者の定義ないし、バイト行きな」
母に勧められ、私は悩みながらもバイトに行った。体調が悪く普段の自分ならしないミスを犯し、昼過ぎ本格的に具合が悪くなった。周りに心配され、私は事情を話し早退した。夕方の抗原検査は陽性で、私は療養生活に入った。
限りなく感染が疑われる状況下で出勤したことを、私は深く後悔した。

母は私にうつしたことを申し訳なく思ったようだが、私は感染したことは仕方ないと思っているし恨んでいない。ただ感染が疑われる時、どんな行動を取るのかは自分で考えるべきだった。出勤を勧めた母もそうだが、すぐ流された自分にもとても腹が立った。そして一年の頃のサークルでも、母から制限を受けたことを思い出した。
コロナ禍が浮き彫りにしたのは、私がいかに両親の意向ばかり気にして自分で深く考えずに生きてきたか、という厳然たる現実だった。
隔離のため自分の部屋で生活しながら、私は来春から一人暮らししよう、たとえどんなに貧乏でも自立しよう、と心に誓った。

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両親は私の未来を考え、慎重に大切に育ててきてくれた。けれど私の未来を過度に不安視するのも、結局私を信用してないからではないか。
自由には当然、責任が伴う。甘やかされ生きてきた私は一人暮らししても、きっとたくさんの苦労をし、失敗するだろう。けれど自分の判断で苦労し失敗するのも大事な「権利」であるはずだ。
コロナ療養で苦しんだが、私は自分の人生の舵を取る自由を得た。
両親に本音で話そうと決めると、療養開始後3日ぶりのシャワーが特に清々しく感じられた。