夢は脳内の記憶を、現在のメモリから過去フォルダへ移行する作業だと思っている。

夢を通して、脳は記憶を単純化し、記憶領域に移し替えて、夢見たことはそれ以降思い悩まないようになる気がしている。
例えば、元カレの夢を立て続けに見たら、元カレは過去のものとして昇華されて、思い出となって、そのときから元カレのことをほとんど思い出さなくなる。そして、過去フォルダに移すとき、稀に良い事実だけを教えてくれたりする。

◎          ◎

今朝、悪夢を見た。
高校時代の設定だった。
友人や母親、家にやって来るセールスの人や、出会う全ての人が、「お前は出来ない」「何で努力しないの?」と言ってきたり、話しているのに目すら合わせてくれず私の向こうや別の人を見ている夢。そして、学校では、私を辱める事実と虚構の入り混じった文章が校内の至る所に貼られていて。そして、私を見てくれて叱ってくれた、高2の担任の期待を裏切って、学校の夏期講習をサボって学校を抜け出した。

起きた時めちゃくちゃ悲しかったし、何で今更こんな夢って思った。
出来ない自分を突き付けられてるようで。事実と虚構が入り混じる夢。

あの頃の私は、私のことなんて誰も愛さないでほしい、見ないで欲しい、私なんかに期待する価値なんかないと思ってた。高2の担任をこの夢で思い出して、あ、なんだ、ちゃんと想ってくれる人が居たじゃんとようやく気が付いた。
そして他にも、確かに私を見てくれてた人達が居たなぁと思いだした。先生方や友達の中に、そんなに少なくない数。

◎          ◎

その高2の担任がこの人ならって任せてくれた高3の担任も、小学校5-6年の時の担任も、英語の先生も、ちゃんと私を見て叱ってくれて話してくれたなぁって思い出した。高校の時の友達や、中学の友達や、陸部の部長も、ちゃんと私をて、いつも怒ってくれたな、それでてサボってばかりの私に問題の解き方とか教えてくれたなって。

もちろん、私はその気持ちを裏切り続けた訳だけど。

サボってサボって逃げて逃げて。叱ってくれる人や想ってくれる人が嬉しくて裏切り続けたのかも知れない。

でも、今になって、後悔というか。色々思うところがあるなぁって。それを思い出せたというか。

空虚な人達もいっぱい居たけど、中にはちゃんと見てくれた人が確かに居た。それに気が付かなかったことへの後悔というか。

今は大人になって叱ってくれる人や友人なんてほとんど誰も居なくなった。なんか、泣けてきた。

◎          ◎

今からでも色々遅くないと思うから。今になって気付いたけど、それって私を想ってくれた人たちがいなかったら気付かなかったことで、その人たちには感謝してもしきれないなぁと思う。なんかね、思ったより私幸せだったなぁと思った。
私の周りは親や親戚だけじゃなくて。もっと広く周りを見渡せば沢山気付くキッカケはあったはずなのに。すごく視野が狭かったなって。そして、今の感謝の気持ちをずっと持ち続けていたいなって思った。機会があれば本人に伝えたいな。

今回の悪夢は、「要らなかった私」というものを過去フォルダに移して思い出にする作業だったと思うんだけど、その過程で色々思い出せて良かった。私自身それに気が付きたかったのかもしれない。分からんけど、人生捨てたもんじゃないって初めて思えて。

良い悪夢だったなぁ。