小学生の頃、私には2つの夢があった。
1つは、動物が好きだったからペットショップで働くこと。
当時の住まいは社宅で、ペットを飼うことは禁止されていた。

私の動物好きは凄まじく、近所で飼われていた犬に一日何回も会いに行き、飼い主に頼んで散歩をさせてもらったこともあるほどだった。
しかしこの夢は、その後高校生になって引っ越した家で念願の犬を飼うことで消えた。

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2つ目の夢は看護師になることだった。
なぜこの夢ができたのか今だに分からないが、これも成長するにつれて立ち消えになった。
でも実は、この夢が今の私には大きく影響している。

大学3年生になり、きたる就職活動を意識して自己分析をしていた時だった。
今までにどんな夢を持っていたのか列挙していくと、あの看護師の夢が出てきた。
理由は思い出させないために、他の夢のように自分の性格や思い出が書き出せない。

この分析の目的は、今までの夢を並べることで自分の潜在的な願望や性格に気づくことだったのだが、違う気づきを得てしまった。
それは、「なぜ医師ではなく、看護師なのだろう」。
きっと、私が医療業界に興味を持ったのは、人助けをしたいなど利他的な理由だったのだろう。

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当然看護師になりたいと思って何も悪いことではない。立派で素敵な夢だ。
でも、なぜ医師だと思えなかったのか気になった。
小学生の私が「医学部6年間は無理だな」「物理や数学は苦手だ」「金銭的にきついな」など、現実的なプロセスを予測していたとは思えない。
おそらく、「看護師」は夢として持っても合理的だと考え、「医師」は私の選択肢にすら出てこない潜在的に非合理的な職業だったのだろう。

では、なぜ医師が非合理的なのか。
私は兄妹が4人いたため、家族で海外旅行は不可能だと思っていた。
これは顕在的かつ非合理的な夢だった。

親に確認するまでもなく、金銭的に難しいと判断していたから。
だが、医師は違う。顕在化されることすらなかった。
この意識にすら上がらないことは、実は大きな問題をはらんでいたのではないか…。
これが20歳就活生の私が得た気付きだった。

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そして29歳の今、私は大学院で無意識のうちに伝授される学校文化について研究している。
あの看護師の夢は、就活が終わって社会に出た後も私の中でしこりのように残り続けた。
特に教育現場で子どもと接しているうちに、子どもたちの語る内容や振る舞いに「なぜ」と疑問が浮かび上がってきた。

そしてそれがあの私自身の経験にもつながった。
「制服は可愛い高校に行きたい」と嬉しそうに話す女子中学生。
「お前男見せろよ!」と部員に怒鳴る顧問。
「うちは娘だからバレエを習わせているんですよ」と職員室で談笑する先生。
あれ、もしかして私の医師という選択肢は、この文化に埋もれて見えなくなってたのかな、そう考えるようになった。
男女を意識するような何かが、無意識のうちに学校で育まれているのではないかと。

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そうしてこの疑問を明らかにすべくこの夏は調査をする予定である。
私の研究分野は社会学。
意識・無意識というと心理学の分野のように感じるが、社会的に構築された価値観や環境も見落とせないものだと信じている。

ある意味、私の看護師の夢は違う、研究するという夢を引き連れてくれた。
全てはつながっている。叶えることが全てではないのだなとしみじみ思う。