正直にいうと、お酒との距離感は恋人との距離感より難しいと思っている。
少し前まで付き合っていたパートナーと距離感を間違えたことは1回か2回ほどしかないのに対して、お酒は何度だって失敗をする。こいつはダメだ。どうしてこうも魅力的で厄介なやつなんだろうか。

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私がお酒を美味しいと思い始めたのは、最初の仕事を辞めたあたりだから、25歳を過ぎていたと思う。それまではビールのおいしさもましてはハイボールのおいしさもわからず、飲み会では仕方なしに最初の一杯だけを懸命に口に運んでいた。それがどうしたのだろう。ある日、仕事もない、実家の自室のベッドに横になりながら急にお酒が飲みたくなった。

これが所謂「やけ酒」ってやつだったのかもしれない。家には飲酒をする人間がいなかったから、仕方なしにコンビニまで行き缶チューハイを買ってきたのを覚えている。そうやって飲んだそれは、案外美味しかった。

それから、仕事がないことをいいことに旅行にいくことも増えた。私の中で本当に謎だが「新幹線にはビールだろう」というわけのわからない方程式があって、新幹線に乗るたびに缶ビールを買ってみていた。美味しいはずがないと思いながら飲んだそれは、一等美味しかった。これは、旅効果なのかそれとも自分の好みが変わったのかいまだにわからないでいる。

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ついでに、父から日本のワインのおいしさを教えられた私は、旅行に行くたびにその土地のワインを探すようになった。小さいボトルを買って単身赴任中の父が帰ってくるたびに一緒に乾杯をした。誰かと一緒に飲むお酒の楽しさも知ってしまった。

そして、ついに一人暮らしをし始めたとき、まだ家具が届いていないまっさらな部屋で、おすすめされた瓶ビールを一本窓際に置いてみた。するとどうだろう。あまりにそれが似合っていて、つい写真を撮ってしまった。真っ青な空に緑の瓶。うん、これは絶対に美味しい。確信を持ちながら、なぜだか準備がいい私はしっかりと用意をした栓抜きを使ってその瓶をあけ飲んだ。至高の味だった。

歳を重ねて、ハイボール、日本酒、ウイスキー、様々なお酒をちびちびと飲んでは楽しんでいる。ただ、距離感は難しいときがある。ついついお酒に頼って寂しさを紛らわすときもあった。次の日に非常に後悔する。逆に、もう絶対に飲まないと決めて冷蔵庫の奥に1年くらい置きっぱなしになっている缶チューハイもある。あれはどうなるのだろう。

本当に、難しい。厄介ものだ。いい思い出も、そうでもない思い出も、こいつとはいつも一緒に過ごしてきた。それがまた悪くないと思ってしまうから、厄介なのだ。

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ただ、一つ。どうしようもなく特別なお酒との思い出がある。こいつがあるおかげで、どんなに失敗をしてもお酒自体のことは嫌いにならないで、次からはちゃんとしようと思える。それがよいかはひとまず置いておいてだが。

その思い出というのが、私の20歳の誕生日のとき。
私は祖父が眠る仏壇の前に父と二人でいた。祖父はあまりお酒を積極的に飲む人ではなかったが、祝い事のときはいつも乾杯だけは付き合ってくれた。だから、私の20歳を祝ってもらいたくて私が我儘を言ったのだ。父の勧めで甘く度数の低いワインを用意してもらった。父と私と、そして祖父の前にグラスを置き少しだけ注ぐ。金色に輝くそれは魔法の薬のようだった。それから二人で祖父のグラスに自分たちのそれをかかげた「乾杯」と。

そのとき飲んだワインの味を私はもう覚えていない。甘かったような気がするが、全く記憶にない。けど、大好きな祖父にお祝いをしてもらったような気がしてずっと泣いていたのだけは覚えている。もしかすると、ワインは甘くなくてしょっぱかったのかもしれない。

この思い出があるおかげで、お酒そのものを嫌いだとか、お酒を飲む機会を嫌いだと、思うことは随分と少なかったと思う。だからといって、距離感がうまくつかめないのは、やっぱり恋愛よりも難しいとは思うのだけれど。