今年の夏は、ものすごく暑い。これまでの夏は節約のため冷房を控えていたが、今年は体が冷えすぎない程度にガンガン稼働させている。冗談抜きで、暑さのせいで倒れてしまいそうな毎日。去年はこんなに暑かったっけ?

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夏が過ぎたら、秋が来る。本来は当たり前だけど、今年はどうだろう。ここ数年、秋の長さが私が幼かった頃よりも短くなったように感じる。
現在の四季のイメージを文字で表すと、こんな感じ。
「春→→夏→→→→あk冬→→」
秋が来たと思ったら、すぐに過ぎ去ってしまう。

近い将来、秋という季節が日本からなくなってしまうのではないか、と考えてしまう。
木々の葉が色づき落ちていく、時間の流れを感じる季節。少し冷えた風の香りや、夕暮れ時の静けさ。気温が丁度よく、年末年始や年度の切り替わり、夏休みほどの大きなイベントのない秋は、心地よさを感じる余裕ができる季節だと思う。このような美しい秋を、これからも迎えられるのだろうか。

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今年の秋は、「秋集め」をしよう。

まずは、紅葉を見に出かけたい。仕事のことで悩んでいた2年前、友人に連れていってもらった紅葉スポット。社会人になっておそらく初めて、景色を見て感動した。日々のもやもやを忘れてしまうくらい、友人とその美しさに見入ってしまった。今年もその友人と紅葉を見に行きたい。

学生時代は、毎秋、大学寮から5キロメートルほど離れた場所にある公園に向かって自転車を漕いでいた。その公園に銀杏並木があるのだ。濃黄色に染まった銀杏並木は、まるで小説のワンシーンを切り取ったような、ロマンチックな景色だった。今住んでいる地域の周辺で色づく木はあるだろうか。身近な秋の楽しみを増やしていきたい。

また、秋の風物詩と言えるものを意識的に見つけようと思う。十五夜の満月や風に揺れるコスモスやススキ、夜に聴く虫の声。田舎出身ということもあり、私にとって当たり前の秋の風景だった。関東の住宅街で生活し始めてから、それらを意識して生活していなかった。「気がついたら秋が終わっていた」と思わないよう、外の自然にアンテナを張って過ごそう。

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そして、秋に限らず、環境問題と改めて向き合いたいと思う。日本には四季がある。しかし、私が生きている間にそう言えなくなる日が来るかもしれない。昔使っていた英語の教科書に「日本は四季がある美しい国です」といった例文があった気がする。日本の自慢とも言える四季が、なくなってしまうかもしれない。

ここ数年間で、自然災害のニュースが増えたように感じる。大雨や洪水、台風被害などはこれまでもあった。しかし、こうした被災地への募金箱が年に数回、しかもタイムリーにコンビニのレジ横などに現れるようになった。毎年のように、どこかの地域で多くの人々が甚大な被害を受けている。明日は我が身かもしれない。

ありきたりな言い方かもしれないけど、自分にできる環境問題の対策を考えたい。使えるものはできる限り長く使う、それを踏まえた上で買い物をする、ゴミの分別や捨て方を見直す。小さな取り組みを習慣化させ、今までより環境の変化に気がつけるようになりたい。

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「いつでも見れるから大丈夫」と思っていた景色に限って、もう一生見れなくなってしまう。首里城やノートルダム大聖堂から、身近な自然まで。以前帰省した時、実家周辺の山が売却されたと知り、かつて茂っていた木々は伐採されて切り株のみ残っていた。その光景を見て、心にぽっかり穴が空いてしまった。

これまで当たり前だった秋の景色も、いつかそうなるかもしれない。いや、環境問題への対策が世界規模で不十分ならば、確実にそうなるだろう。

秋の景色を忘れたくないから、秋を集めてしっかりと目に焼き付ける。そして、これからも秋が訪れるよう祈りながら、自分にできる環境対策に取り組みたいと思う。