“平成が終わり、令和が始まった年。かがみよかがみは、4年前の2019年8月29日にオープンしました。”

今回の「4年間で変わったこと」というエッセイテーマ募集ページの冒頭に、そう書かれていた。

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2019年8月29日。
その日付を見て、脳裏ではある出来事が自然と思い出された。

かつて働いていた会社で、8月末になると必ず行われていた一大業務。通常業務をほぼストップさせて、1日がかり・社員総動員で行われる大仕事、「棚卸し」だ。

そこは自動車や医療機器などに使われる多種多様な精密部品を製造・出荷している会社で、製品在庫もかなりの数を保有していた。実際の在庫数と、データ上の在庫数がしっかり一致しているのかどうかを年に1回確認する…それが棚卸しの内容だった。
全社員で手分けして行うこともあり、はっきりとした総数はもう覚えていないものの、棚卸しの際は100〜200種類近くの製品の在庫数をチェックする必要があった。

この棚卸し作業は、大体2人1組のペアになって行われた。片方が現物の在庫をチェックし、もう片方はデータの数字を見る。この作業を、私は直属の上司と組んで行うことが多かった。

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今でもこの気持ちは変わらず持っているのだが、私はこの上司のことが人として大好きで、尊敬もしていた。基本的には温厚ではあるものの、「きっと物凄く仕事ができる優秀な人なんだ」と早い段階で直感的に思った。新卒で入った会社ということもあり、「私もこんな風になりたい」と初めて思わせてくれた身近な大人だった。

そんな上司と例年通りペアになり、棚卸しの作業を進めていた4年前。
「面倒くさい」と嘆く社員も少なくないのがこの棚卸しだったが、私は密かに毎年楽しみにしていた。直属ではあるものの、普段の仕事の中ではそこまで上司と密に関わるわけではない。ただ、棚卸しでは必ず丸1日ペアになる。作業を進めながら、仕事の話や、仕事以外の他愛のない話も交わす。私にとっては、特別な1日だった。

ただ、4年前に限っては複雑だった。「きっとこれが最後の棚卸しになるんだろうな」と内心思っていたからだ。

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当時の私は、転職を考えていた。会社や自分の仕事に対して特別な不満があったわけではない。ただ、1つの場所にいただけではきっと出会えないであろう、まだ見たことのない景色に興味が湧くようになった。だからどちらかと言えば、転職理由はポジティブな色合いの方が強かった。

それでも、会社を離れてしまえば当然もう上司と一緒に仕事はできなくなる。自分で決めた転職のはずなのに、私の心は何度も寂しさで揺らがされた。自分の選択と矛盾していることは頭ではわかっていたものの、できることなら上司の下でずっと働いていたかった。尊敬する人の背中を見つめながら、「今日も頑張ろう」と思い続けていたかった。

私にとっては最後の棚卸しとなったあの日から数ヶ月後、上司に退職を申し出た。
私の見間違いでなければ、上司はとても哀しそうな表情を浮かべていた。後日、「あの時は正直、魂抜けたみたいな気持ちになったんだからね」と笑いながら苦情を言われた。申し訳なさが募ると同時に、こんな自分でも、会社にとって必要な人間に少しはなれていたのかなと嬉しくもなった。

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2019年の仕事納めの日が、私の最終出社日だった。
上司はよく、私の退職のことを「卒業」と言い表してくれていた。それがたまらなく嬉しかった。
会社を辞めるというと、どうしても後ろ向きな雰囲気を帯びているように感じてしまう。けれども上司は、手放しで応援してくれた。だからこそ私自身も、「辞める」ではなく「巣立つ」そんな気持ちで前を向くことができた。

しかし、快く送り出してくれたにもかかわらず、私の転職は上手くいかなかった。気づいたら職を転々としていて、自分の毎日が悪い方へどんどん下降していくのを肌で感じた。
約4年働いた、大好きな上司がいるあの会社に戻りたい、とは一度も思わなかった。思わなかったけれど、ただただ不甲斐なかった。何のために自分は大きな決断をしてまで大切な場所を離れたのだろうと、悔しくて仕方なかった。これが、世間全体が未知のウイルスに慄いていた、2020年の話だ。

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ただ、ひょんなことから、面接の時点では手応えゼロだった会社から何故か内定をもらえた。これが前職の会社だ。2021年、夏と秋がゆるやかに混ざり合おうとしていた頃のことだった。

それからさらに紆余曲折があり、昨年その会社を辞めた。結婚や引っ越しなどのライフイベントが重なったことが1つの理由ではあるものの、「組織に属さないで働いてみるのはどうだろうか」と、新たな働き方が選択肢としてふと浮上した。何のツテも自信もなかったけれど、「えい」と勢いだけで飛び込んだ。
「入社したり退社したりを繰り返すのはもう嫌だな」正直な所、そんな不純な動機もそこにはきっと含まれている。

そうして、2023年の今に至る。

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4年の間で、働き方も、住む場所も、名字も変わった。毎年毎年、目まぐるしい変化の連続だった。
短期離職を繰り返していた頃は、「こんな姿は到底上司に見せられない」と激しく恥じていた。今の自分は、どうだろうか。

フリーランスライターとして、2年目に突入した。現時点で「もう辞めたい」と思ったことはない。きっとこの先もこの道で、歩ける所までは歩いていくのだろう。
でも、まだ足りない。まだ、尊敬する人の前で堂々と胸を張れるような人間にはなれていない。

何の根拠があるわけでもないけれど、またいつの日か、かつての上司に会える時が来るのではないかと私は勝手に思っている。
その「いつの日か」のために、目の前の道をただ歩くだけではなく、足腰を強く太く鍛えていきたい。たくましく、かつしなやかに。
そんな自分になれたら、憧れの人に「成長したね」と言ってもらえるのではないだろうか。

これもまた、勝手に思っている。