この4年間、本当に大きな変化があった。2019年に大学院を修了し、一人暮らしをしていた札幌市から実家のある栃木県へ出戻り、再び将来についてじっくりと考えることになった。

せっかく大学院まで出たのだから、総合職の、チャレンジ精神の重要視される企画職をやりたい。そういう思いで難関企業とベンチャーばかりを受けていた2018年の民間就職は失敗に終わった。就活も終わりかけた9月頃、私は地方出身、普通自動車免許なし、文系院卒と、就活においてありとあらゆるブランクを抱えていることを知った。

そして、その裏には、自閉症スペクトラム障害とてんかんという、障害者手帳の取得が約束された不治の病を抱えていた。とうとう就活が上手くいかないとなった頃、母親に「私ってやっぱり障害者手帳と年金をもらう権利があるのかな」と、本音をこぼした。すると母親は「一人暮らしして大学院に行った者が何を言う」と言った。

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言われるのも無理はない。地方に生まれた私の同級生達の中で四年制大学に進学した者は半分もおらず、その大半は実家から通える私立大学に通い、院まで進学した者は少数だった。それも一人暮らしをして国立大学に行くなど、女子にしては中々ない進路であった。それゆえつい最近までは一般職はいやだと総合職ばかりを選定した者がいきなり障害年金など、そう思われても仕方がない気がした。

結局民間就職は辞退し、在学中は研究に専念して進路は修了後に考えることとなった。しばらく決まらないでいたが両親と話し合い、来年度に行われる公務員試験を受けることになった。結果は複数内定。

しかし万が一不合格の時のために障害者手帳と年金の申請もしておいた。結果は2級内定。最初は取れて3級だろうという話から年金を申請しない方針だったが、2級になったのなら期待できるかもと軽く申請したが、まさかの内定に皆で驚いていた。障害年金の受給も確定し、第一志望の職場にも内定。こんなにも嬉しい年は今までに経験したことがなかった。

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それと同時に、これまで抱いたことがない表現し難いモヤモヤとした感情が一気にこみ上げてきた。私は27年間健常者として、寧ろ世間一般では社会的地位の高い者として普通に生活してきた。障害年金の受給は難しいと聞いていたが、それほどの困難を抱えながら何の支援も受けずに一人闘ってきたのだと思うと、なんとも言えない気持ちになった。

発達障害の件は幼い頃から知っていて、興味ないことはすぐに忘れるからなぁ。と、受験時代は自信の特性が不利になる実感はあった。しかし、この程度であれば許容して何事もないように過ごさなくてはいけないのだと思い続けて生きてきた。実際今でも当たり前のように受給できるサービスすら、得している気分になってしまう。提供する側も同じ思いのようで、サービスの手続きを行う際に保険証を提出すると、「あ、あ、あ、地方共済組合の方なのですね」と、驚く職員も少なくない。

年金と言わず、その病気に対する治療費が10%になる自立支援医療すらそうなのだから、年金受給者と知った時はどんな表情をするのだろうと考えてしまう。実際受給の手続きに言った際に私が事細かく質問すると「あなたのような方がとても受給の対象となるとは思えないですね」と言われてしまった。私は健常者であることに慣れてしまったのだ。

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だが、いざ仕事となるとできないことはどっと増える。27歳まで学生生活に専念していた私にとって、仕事をする上で出てきたマルチタスクというのは初めてぶつかる困難であった。一度に複数の物事を処理する、自分の仕事を中断し、突然の来客に応対する。今まで経験することのなかった、いや予測不可能な困難であった。

学校のようにやることが事前に提示され、苦手があったとしても予習、復習でカバーできる学校の内容とは大きな違いがあった。また、これらはそのどちらも難しく、どう工夫していいか分からないという所からのスタートであった。

私が現在最も苦労しているのは突然の抜けへの対応で、どうしても一つのことに集中するともう一つのことが抜けてしまい、目に付くところにメモを置く視覚化をする工夫をしている。まだまだ周囲の人と同様の仕事ができていないと言うところである。

4年間で障害者になり、社会人になり、新たな困難にぶつかりつつ受給するサービスに後ろめたさを覚えつつ。そんな日々を過ごしている。
今日8月15日は障害年金支給日である。また後ろめたさを覚えながら、今日も第2の通帳を確認するのである。