普通になりたくて、皆と同じになりたくて、18歳の春、専門学校に進学した。私は、起立性調節障害という血圧の病気を患っていた。症状は、めまい、立ち眩み、吐き気、動悸などで、日常生活はもちろん、学校生活にも支障をきたしていた。

小学校高学年の頃に発症したため、小中学校はあまり出席できていなかった。高校は通信制に進学していた。だから、周りからは、専門学校への進学を反対されていた。専門学校はスケジュールがタイトなので、私の病状では難しいと担当医から言われていたからだ。

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担当医からは、スケジュールを調整しやすい大学に進学することを勧められていた。私は、それが嫌だった。最初から4年で卒業しないことを前提で履修計画を組むということは、私の思う「普通」になれないと当時は思っていたからだ。だから私は、専門学校に進学したかった。皆と同じスケジュールで動き、皆と同じタイミングで社会に出たかった。「高校卒業のタイミングで、絶対に普通で皆と同じレールの上に戻る!」と、心に決めて専門学校に進学した。

しかし、担当医の言葉は的中した。入学して1か月たった時、私の体は限界を迎えた。激しい動機とめまいで教室の中で座っていることが難しくなった。医務室で体勢を変え、血圧がもとに戻ると症状は治まった。しかし、症状が治まった後も、また教室でしんどくなるかもしれない……という不安がよぎり、教室に入ることが怖くなった。そして、不登校へと逆戻りしていた。病院に行くと、起立性調節障害に加えて適応障害の病名がカルテに追加された。

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そして、6月に専門学校をやめる手続きをした。卒業した通信制高校で、キャリア相談の面談をしてもらい、9月から通信制大学に入ることが決まった。新しい生活のスタートにもかかわらず、この時の私は「結局、普通になれなかった……」と、暗い気持ちでいっぱいだった。

「もう、私の人生なんてどうでもいいや」と思った私は、通信制大学では4年で卒業することを目指さなかった。在籍上限の10年までに卒業することを目標に、履修計画を立てていた。最初の学期は、たったの6単位だけ履修登録した。普通になれないという暗い心とは裏腹に、私の体調は回復していった。

20歳になった頃には、体調も以前よりは安定していたため1学期に23単位を取ることができていた。この頃、私の心境は変化していた。通信制大学で、自分のペースで小さな目標をちょっとずつクリアしていくことで、気持ちが変わっていた。「私の人生だし、皆と違っても、私が良いと思えたら良い人生だよね」と、思えるようになっていた。

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大学5年生になる22歳の今年の秋、ようやく卒業が見えてきた。来年度行う、卒業研究の単位で、卒業要件を満たすことになる。2025年3月に大学を卒業できる予定だ。4年前の私だったらきっと、「皆よりも2年も遅れて大学卒業だなんて……」と落ち込んでいただろう。しかし、今の私は「目標の10年よりも4年も早く大学を卒業できる。すごいじゃん!」と、自分をほめてあげられる。

来年の夏には大学院を受験するつもりだが、起立性調節障害の症状は相変わらず続いている。だから今度の進学は、高校卒業後の経験をいかして、「普通」とか「皆と同じ」とかに拘らず、自分のペースを優先して大学院生活を送りたいと思う。

4年前の私は、起立性調節障害を患っている自分の身体を恨んでいた。今は全く恨んでいない……訳もなく、ちょっぴりは恨んでいる。それでも、起立性調節障害と付き合いながら、自分の人生を歩むことで、「普通じゃなくてもいい」、「皆と同じじゃなくてもいい」と思えるようになったから、その部分に関しては感謝している。これからも、病気の身体と共に、自分らしく生きていこうと思う。