なんとなくSNSで見かけてから、フォローしてた「かがみよかがみ」さんが、4年間で変わったことをテーマに募集している投稿を夜中に見つけ、4年という数字に目がいった。私にとって4年という数字は恋愛においての第一の人生と言っても過言ではない。

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なぜなら私は、20歳から24歳まで片思いをしてたのだ。彼との関係性は友達以上恋人未満ともいえるし、セフレともいえるし、都合のいい女に成り下がったともいえてしまう。海外で選ばれた人しかできないような仕事をする彼に憧れ、自分の生きたいように生きる彼を尊敬し恋した。

外見も中身も全てが完璧で、皮膚も体臭も骨格も声も理想で、二日酔いの寝起きですら美しい彼を中心に私の世界は回っていたのだ。彼が帰国する度に会い、体を重ねた。呼び出されたら夜中でも僻地でも行った。5回に3回は待ち合わせに来ない彼だったが、懲りずに待ち続けた。

何度も好きでいるのが苦しくなり、やめようと連絡を取らないようにしてみたり、他の男性とデートをしてみたりと努力はしたが、彼からの「会える?」のLINEより強い力は、あの時の私の世界にはなかった。そんな状態だから勿論まともに恋人ができず、ただ消化していた23歳の夏。

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彼が「俺の住んでいる国においでよ」と一緒に住む提案をしてくれたのだ。「日本では20歳が人生の節目って感じだけど、こっちでは23歳の1年が変動の時期で人生の節目って感じなんだよ。だからいいタイミングだし、おいでよ」というかっこいい誘い文句と彼と一緒に住めるという夢のような提案に心踊らされ、急いで彼の住む国のビザを取り準備をした。

「25歳になってもまだこの関係性が続いていたら結婚しよう」という甘い彼の言葉を信じて、好きな仕事もやめて飛行機に乗ったのだ。

でも一緒に住んだのは一瞬。私たちは知り合って長い年月立っていたけれど、一緒に住めるほどお互いのことを知らなかった。私は彼の全てを愛していたし、彼のことは全て受け入れた。繊細な彼は、些細なことで気分が変わってしまう。ストレスの多い特殊な仕事をしている彼は、慣れない私との共同生活で日に日に荒れていった。

日常会話程度しか英語が話せない私は、彼の機嫌を少しでも損ねたら生きるのすら困難になった。彼の機嫌を損ねないようにと生きているうちに、なんて愚かなことをしてるんだろうと目が覚めた。

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彼に冷めたというより、私を大事にしてくれない人を好きでいる私が嫌になったのだ。そして、大切な彼を壊していく私を、大切な人を大切にできない私にも嫌になった。

勢いで飛行機のチケットを取り、「帰りたい」と伝えると「そっか」と承諾する彼。会話がないまま荷造りを進める。持って帰れないものは全て捨てて、私の部屋は来た時と同じ状態になった。その部屋を見た彼が、「駅まで送るよ」と私のスーツケースを持ってアパートを出た。

私がこの国に着いた時、空港まで迎えに来てくれた彼。その時は電車の乗り方なんてわからず彼が迎えに来てくれて心底ホッとしたのを思い出した。帰りの時は何も心配事がなく、リラックスしていた。

気づかないうちにこの国の生活に慣れてきていたのだろうと思った。駅につき、空港への電車が来るホームへと向かうためのエレベーターを待つ。改札がないこの国では、電車に乗らない彼もそこまで来てくれた。私がこの国に着いた時に持ってきたスーツケース。迎えにきてくれた時も彼が持ってくれたし、送ってくれる今も彼が持ってくれている。

エレベーターが来て、そのスーツケースを受け取る時に私は終わりを感じた。彼が、「またね」と手を振る。もう会うことはないよと閉まるエレベーターのドアに向かって言ったが、彼には聞こえてないだろう。

私は今年の夏、25になる。
あなたと離れてから、好きだった仕事に復職し、大切にしてくれる人を大切にするような恋愛をできる人間になったよ。
私は来年の始まりに、結婚する。
25歳で結婚する。