私の思い出の服。お気に入りの服。それは今作っている、秋用のワンピースだ。白っ黒チェックのスウェードの生地で、袖は赤毛のアンのワンピースの様に膨らませたデザインだ。

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洋裁を始めようと思い立ったのは今月のことで、それはある一冊の本との出会いがきっかけを作ってくれた。

本のタイトルは『アウシュビッツのお針子』だ。内容は、アウシュビッツ強制収容所で、運よく腕のいいユダヤ人の女性たちがドイツ人の顧客のための衣服を作る仕事をもらえたことで生きのびたという実話だ。

一日一二時間も働いた当時二〇代前半の女性たちの勇敢な仕事ぶりは、思わず本をめくるページが早くなった。そして読めば読むほど心にずっしりとのしかかる無力感。彼女たちは毎日長時間、しかも無賃で働いていたのだ。褒賞は僅かにもらえるパンと、ここにいさせてもらえて仕事が貰えたら明日も生きのびていけるという保証。

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そんな日々でも、彼女たちは自分たちを迫害しようとするドイツ人のための洋服を作るのだ。本当は、自分の家族を離れ離れにさせた敵の服を作るなんて、腸が煮えくり返るような気持ちだろうと私は思った。
だけど、生きるために彼女たちはミシンに向かい続けるのだった。

私はそんな本と出会って、自分でも服を一度作ってみようと決意した。その日のうちに電車に乗り継ぎ、生地と洋裁道具を手に入れた私は、どれだけ幸せ者なのだろうと思った。お金と時間をかけて、自分のためのワンピースをこしらえるのだ。本の中の彼女たちは、こんなわくわくした気持ちで洋服を作っていたわけではないだろう。そう思うと、胸がきゅっと苦しくなった。

初心者にとって、洋服づくりは本当に難しいと感じた。型紙通りに生地を切ったとしても、どこかで帳尻が合わなくなってくる。ほつれてくる裾、絡まるミシン糸。部屋中に散らばる待ち針が足に刺さる日々。それでも、服を作っているときはすべてを忘れて没頭できた。 

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「腕のいい人になりたいな」
これは私が今日つぶやいた言葉だ。一日一二時間も働いた本の中の彼女たちとは違って、私はたった数時間ミシンを扱っただけなのに、今日はすぐに疲れてしまった。思い通りにいかない袖の縫い合わせも、ガタガタのミシン跡もすべて愛嬌で済ませられたらいいのに、どこか完璧を求めてしまう。まだ一着目なのに、早く成長したくてたまらなくなった。 

本の中で、アウシュビッツを生きのびるために必要不可欠なことは何だったと思いますか?という質問がある。終戦後生き残った、当時強制収容所のサロンで働いていた彼女は、こう言っていた。

「良い腕と善良なカポ」
カポとは、同じくユダヤ人でありながらナチスに特別待遇されていた人たちである。中にはユダヤ人のために協力をしてくれるカポもおり、そのおかげで多くのユダヤ人が生きのびることができたのだ。

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いい腕。その響きがとてもかっこいいなと思った。たった一着目で、この縫い目が曲がっているだとか、上手くいかないだとか言って泣き出しそうになっている自分とは大違いだ。悔しくても、上手くいかなくても私は洋裁を続けたいと思った。そしていつかそれを自分の武器にしていきたいと思った。

何かを生み出しているとき、私は一番生きている心地がする。時間をものに還元しているようなそんな生産性を目で感じられる幸せなモノづくり。だけど、かつてはそれが決して幸せだという理由ではなく、生きるためにやり続ける義務を背負ったものだったことも私は忘れないでいたいと思う。

完成したワンピースを見るたびに、私は同時にこの本のことを今後も思い出すのであろう。