コロナ禍では突如として様々なことが変化した。

大学での対面講義は無くなり、オンライン講義が主流となったため、私は1年間大学へ通うことは無かった。また、周りの人々はマスクを着用することが普通となり、お互いの顔がよく分からないまま友人関係を作ったこともあった。
そして外出が制限されていたため、家族や友人たちと旅行へ行くことは私にとって夢のような出来事のように思えた時期でもあった。

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私たちはコロナ禍を長い間過ごしてきたが、ネガティブな面に目がいってしまい、「コロナがあったからこんなに良いことがあった!!」と答えられる人は少ないのではないだろうか。私自身はコロナ禍で得たものよりも失ったものの方が遥かに多いような気がして、未だに過去を悔いてしまうことがある。

しかし、私にはコロナ禍であってもポジティブに考えることができた時間が少なからず存在した。今となっては習慣化しなくなってしまったが、あの頃はそれだけが私の救いでもあった。
その頃の私の習慣とは“花を愛でる”ことであった。

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コロナ禍では、オンライン講義であっても人と話す機会が非常に少なかった。ブレイクアウトルームで話し合いをする際も、私以外に喋る人がいないことが多々あり「話し合いもしないのにこれがゼミと言えるのか?」と憤りを感じることもあった。

講義中に意見交換をすることもなく、誰かと話すこともできず、家で1人でパソコンに向かって講義を受ける日々が続いた。
そのような日々を過ごしているうちに、私のなかの糸がプツンと切れてしまった。

「このままじゃ、憂鬱になりそうだな」と思った私は、空きコマの時間を使ってホームセンターに行って、ネメシアという花を買った。
ホームセンターに行く時は、「これを買う!」といった考えはまるで無かった。ただ、「何でもいいから私の心のなかを明るくしてくれるものが欲しい」という思いだけがあったように思う。

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なぜ私は“ネメシア”を選んだのか。
心を明るくするなら美味しい食べ物を買うのでもいいし、ホームセンターではなく本屋に行って欲しい本を買っても別にいいはずである。この頃の私は特に本の虫だったので、色々な本を読んでいた。それでも敢えて今まで育てたことのない“ネメシア”を選んだのだ。
ネメシアは様々な色があり、小さな花が集まって咲く。見かけがとても愛らしい点に惹かれたというのも事実だが、「これを買おう」と思ったきっかけは『匂い』であった。

憂鬱で気分が沈んでいた時に、ネメシアからふわっといい香りがしてきた。憂鬱な気分をひっくり返してしまうくらいの香りだった。
驚いた私は一体何事だと思い、頭を処理するのに時間を要してしまった。花の香りがこれほど良いとは知らなかった。

試しにネメシアを一株買ったが、それでは飽き足らずまた一株…また一株とネメシアを購入していった。プランターが足りなかったので買い足したりもした。その時の私は自分だけの花の楽園を作りたかったのかもしれない。

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花は凄い。ただ綺麗なだけではない。
見ているだけでどこか気持ちが明るくなる。香りがとても良くリラックスできる。
家の中でいるだけの窮屈な生活をしていたが、花が近くにあるだけで自分の心の持ちようがこんなにも違うのだと気づかされた。
それほどまでにコロナ禍の日々を彩ってくれたのがネメシアだった。

でも今はもうネメシアは育てていない。冬を越すときに枯れてしまったのだ。ネメシアが枯れてしまって以来、私はネメシアを愛でることがなくなってしまった。
でも時折この匂いが懐かしくなる。あの頃のネメシアにはもう出会えないが、また新たなネメシアを買いに行こうと思う。