※コロナ禍によって仕事を失った人、思ったように学生生活を送れなかった人等はブラウザバックをお勧めします。

年の瀬に遊んだ友達や新年の挨拶を交わした親戚たちと、まさかこんなにも会うのが困難な世の中になるなんて思ってもいなかった。
試食やテスターもどんどん姿を消して、お直し用のコスメよりアルコール除菌やハンドクリームを持ち歩くようになった。
悲しいニュースも後を絶たず先の見えない生活の中で、私は現代の文明に感謝する日々を送った。

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初めて緊急事態宣言が発令された、2020年春。
ちょうどその頃の私は転職先で働き始め、前職とは違う新たな悩みに振り回されているところだった。ウイルスに影響されないサービス業に就いた為、緊急事態宣言であろうと外出する人が減ろうと出勤形態は変わらず、毎日せかせか働いていた。

「ステイホーム」「おうち時間」「外出自粛」
……大好き。どうぞ課してください。制限どんとこい。
これが当時の私の正直な感情。なぜなら私は、生粋のインドア人間だからだ。SNSでスイーツ作りに挑戦したり、長時間ゲームをしたりしている投稿は脳を停止して見なければいけなかった。特に、断然アウトドア派の家族や友達から仕方なくステイホームを謳歌している報告が届くと、唇を噛まないように自制心を働かせなければならなかった。

極力外に出たくない、なんなら何日でも家に引きこもっていたい私が仕事の為に重い足を引きずって出勤しているのに、休日は必ず外に出かける人達がしぶしぶ家で暇つぶしをしている。なんて理不尽な世の中だろう。そんな不満を垂れ流す矢先、私にもようやく転機が訪れた。仕事を辞め、無職になったのである。

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辞めた理由はここでは書かないでおくが、晴れてステイホームの仲間入りになった私は転職活動をしながら、束の間のおうち時間に心からウキウキしていた。好きな時間に起きて、観たかった映画やドラマも好きなだけ見る。好きなだけ読書して、好きな時間にご飯を食べて、好きな時間に寝る。

心の充実度とは裏腹に通帳の数字だけは刻々と減っているけれど、こんな天国みたいな時間が許されていいのだろうか。まるでご褒美じゃないか。緊急事態宣言ありがとう。

こんな事を鍵の付いてない私のアカウントで呟いたら、非国民としてアンチコメントが届いてしまうだろうか。そんなことを思いながら、日課のようにSNSのアプリを開き画面をスクロールした。…なぜか、妙な感じがする。何かがおかしい。HSPのせいだろうか?それとも、日々の充実感ゆえの余裕とはまるで対照的だったからだろうか?そこには殺伐とした雰囲気が広がっていた。

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いつまでこんな政策をとっているんだと政府を罵っている人。海外の対策と比較して自国を恥じている人。ワクチンへの不信感から医師会を猜疑の目で見る人。それだけではない。芸能人の悲報に別の死因を疑う人。真似したように感染者数ばかり発表するメディアに辟易している人。感染対策が不十分な人を晒し上げている人。
誰もが警察官のようだった。もしくは監視員。当時はオーディション番組ブームだったため、審査員のようにも見えた。

あの人もこの人も何かに反論したり批判したり、あら探しや落ち度を見つけるのが得意なように見えた。もちろん、それらが全て悪いことだとは思わない。でも前例がない、正解すらないかもしれない問題に世の中がぶつかった時、人々はこんな風になるんだ、となぜか俯瞰してみている自分がいた。

まるで違う世界の出来事のように、ウイルスに怯えた世の中を私は悠々と過ごした。
在宅ワークのチャンスも増えた。会いたくない人からの誘いはいろんな理由で断ることができる。ニキビができても涙がこぼれても、大抵マスクが隠してくれる。気分がいい時は、イヤホンから流れる音楽をノリノリで口パクしても周りにバレることはない。

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でも、ふと考えた。
もしひと昔前に、同じ状況になっていたらどうなっていただろう?
TwitterやInstagramもない。どこで何が起きているか知るには、ずっとテレビのニュースを点けておくしかない。複数の人と同時に繋がれる手段もないし、私はレシピ検索ができるアプリがなかったら料理もできない。……考えただけで、恐ろしい。

今この現代にコロナ禍が起きたのは、不幸中の幸いだと思った。大げさかもしれない。一人暮らしで、大切な人たちも健康で、とっくに学生も終えた独り身だからかもしれない。それでも、そう思わずにはいられなかった。
ありがとう、文明の利器。
君がいたから、人生の夏休みのような時間を有意義に過ごせたよ。
手のひらサイズの君は、もう私の一部だ。