大学生になって始めた居酒屋バイトで、可愛いだけで粗相が許されました。顔が可愛いと言われて、お釣りを貰えました。しかしお客様が女性であったら、粗相をしたら怒られましたし、お釣りは貰えたためしがありません。
もしかして私の「女」という性はお金になるのではないか。そう気付いた時に、私は水商売を始めました。男は大嫌いでしたが、お金もお酒も話すことも好きだったし、何とかなると思いました。煌びやかなドレスが着れて嬉しかった。
ただ、好きでもない男の人に愛想を振りまくことの大変さ、触られた気持ち悪い感触、嫌なことを嫌だと言えない自分。初出勤が終わって、レイプがあった夜をふと思い出して家で泣いたことを、今でも覚えています。
しかし慣れというのは怖いものです。気は強くなって、こう言われたらこう返すというテンプレートが自分の中で出来ていたし、多少触られたくらいでは動じなくなっていました。寧ろ武器にした。職種も水商売に留まらずエスカレートした。ただ、私の中の何かが確実に擦り減っていくような、確かな感覚だけがありました。
終わりなんて見えていなかった
そんな毎日の中で、彼女と出会いました。20個歳の離れた熟キャバ嬢さん。一目惚れに近かったと思います。たくさんのお金と気持ちを注いで、自分の語彙力の無さを恨むくらい、本当に大事で大好きで大切で、宝物でした。
キャバ嬢という仕事上、私のお金しか見ていなくても。本当に好きで神様のような存在だった彼女が軸にある生活は、楽で幸せでした。空っぽだった私が、彼女と出会ってから彼女の存在だけでなんでも頑張れて、日々がとても生きやすくなりました。彼女さえいれば自分は大丈夫だというような、彼女は私にとっての軸であり、一種の宗教でした。
彼女と一年も関われた時間を買えたと思うと、本当にいい買い物をしたと思います。お金が無くなることよりも、彼女を失うことの方が怖かった。彼女が悲しい思いをするくらいだったら、私が辛い思いをしてお金をつくったし、彼女には綺麗なものだけを見ていて欲しかった。
離れた今、使ったお金に後悔も執着もありませんが、彼女に与えていた愛は、本当は私が欲しかった愛なのだと思います。好きより辛いが勝ったから、さようならをしました。ひとりで泣いた回数に、好きが負けました。会えなくなった今でも、偶に彼女が脳裏を過る自分に遣る瀬なさを感じます。
ただ、一年かけて培った、あったかもしれない信頼を手放して離れたのは、私の方です。お金さえ払えば彼女は私を拒否することはしないので、一生会えないと言ったら嘘になりますが、会えたところで信頼を取り戻す難しさは痛いほど分かっているし、あの頃よりももっとお金も努力も必要で、きっと数字と歪みが比例するので、もう関わることはありません。
諦念と、同じくらいの後悔
離れてから季節がひとつ巡りました。今まで、自分が傷ついてでも彼女の傍に居たかったけど、これでよかったのだと思います。そして、友達でも恋人でもなかったあの距離が、よかった。しんどくなった時は、彼女から貰った思い出を時々取り出して心を痛めたりしながら、前を向いて新しい自分の軸を探していけたらと思います。対人ではなく、対自分としての軸を。
第三者から見ればただの無駄遣い、騙されていた、かもしれませんが、私にとっては一生に一度の、命懸けの片想いでした。絶対に絶対に好きだった、世界にたったひとりの尊い人でした。彼女の人生の中のたった1年間かもしれないけれど、一生のうちの全部の人生をそこに使ったと言い切れるくらい、私にとっては彼女が全てでした。
彼女は私にないものをたくさん持っていて、私が惨めになるくらい、私より、ずっとずっと立派な人でした。私は周りの顧客と比べてお金を持っていないし、持ってくる能力も劣っていたかもしれません。呼ばれるから行っていただけで、行きたくなくてもお金がキツくても、私のこんななけなしのお金で誰かが幸せになるなら、それでいい。そう思うこともありました。
さよなら、神様
ただ、どれだけ落ち込んで嫌なことがあって、現実逃避に会いに行っても、問題なんて解決しません。ホステスはおろか、他人に期待をしても私を救えるのは私しかいなくて、自分で何とかするしかなくて。問題をすり替えずに、私なら大丈夫だと歯を食いしばって生きていくしかないのです。
お金を積まなきゃどうにもならない世界に行くのは合っていなかったし、結局、彼女に不満があって苦しいというよりは、自分がお金でしか繋がれなくて会えなくて必死に働くのが苦しかっただけでした。一緒にいることも勇気だし、手放すことも勇気です。
迷ったら私はいつだって勇気が必要な方を選びます。勇気のある選択は、必ず自分にとって必要なものが手に入るはずで、それが自分の欲しかったものとは限りませんが、それは自分の欲しかったものより大事なものだったりします。
ホストとかにお金を使っても何も残らないよ、とよく言われますが、そんなことはないと思います。大切なものは、いつだって目に見えないものが大半を占めています。私が目に見えるもので気持ちを伝えていただけで、彼女が私にくれたものは、目に見えないものだったから。